2015年06月19日

「未見の星座 つながり/発見のプラクティス」 消え去るものの美しさ

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2015年2月27日(金)

『未見の星座 つながり/発見のプラクティス』
作家:淺井裕介など
場所:MOT 東京都現代美術館

この企画展のお目当ては淺井裕介の泥絵。マスキングテープをつかったインスタレーション作品は見ていたのだけど、本格的な泥絵はMOTの常設展で見て以来。やはり淺井裕介は泥絵だなと満足した。古代的にも感じられる壁画も素晴らしいが、その素晴らしい絵がやがて消えてなくなると思うと得もいわれぬ感情がこみ上げてくる。美しい。なぜ消え失せてしまうものはこうも美しく見えるのだろう。
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2015年04月14日

「アメリカン・スナイパー」 殺人により失われるもの

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2015年2月25日(水)

『アメリカン・スナイパー』
監督:クリント・イーストウッド
原題:American Sniper
場所:新宿バルト9

この作品を戦争映画としてみると、というか、戦場の描写に多くの時間を費やす本作はまぎれもなく戦争映画といえるのだけれど、まずその戦地の描写に引き込まれた。作り物とはいえ、これがあの頃のイラクなのかと。米軍がファルージャを攻撃したとき、現地はこのような惨状だったのか。戦地の様子を眺めながら、そこに当時の記憶を重ねた。このような、あるいはさらにむごいカオスの中で、彼らは互いに殺しあっていたのだ。過酷な戦争の現実。まだ幼い「テロリスト」を容赦なく射殺し、その一方で、撃たれた仲間が血塗れになり倒れる。殺戮が無限に繰り返されていく。それでもあの地獄に自ら赴き、正義のために戦う人たちはやはり英雄なのだろうか。それとも単なる野蛮人なのか。

殺人のプロ、米軍の狙撃手であるクリス・カイルには妻と子がいる。仕事に没頭する父親と家族との軋轢はクリント・イーストウッド監督が繰り返し描くテーマなのだけれど、この「アメリカン・スナイパー」もその流れをくむ作品なのだと思う。正義のために繰り返し戦場に赴き、生きた伝説ともいえる名誉を得るのだが、その一方で取り残された家族との溝は深まっていく。そして最後までその絆が元に戻ることはない。

この二つの物語を描くことによって、本作は戦争が人間から奪うものは命だけではないことを伝えている。それでも戦争を続けなければならない理由とは?人が人を殺さなければならない合理的な理由は存在するのだろうか。殺人の欲求はどこから生まれてくるのだろう。人間が殺人の欲求を乗り越えられる日はくるのだろうか。
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2015年03月20日

「イザイホウ−神の島・久高島の祭祀−」 村落共同体と神、祈り

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2015年2月12日(木)

『イザイホウ−神の島・久高島の祭祀−』
監督:野村岳也(海燕社)
場所:Uplink

沖縄島の南東5kmの海に浮かぶ孤島。久高島でかつて執り行われていた「イザイホウ」という神事のドキュメンタリー。

久高島は密な集落で、島に暮らす人々はみなこの島で生まれ、育ち、また集落内で結婚をして子を産み、育てる。成人した男は海に出て漁師となり、女たちは家事と農業に携る。このイザイホウは、海人である男性たちの無事を祈るために30歳から41歳の女性たちが巫女となるために執り行われる神事である。

板1枚の下は地獄。海人の言葉は重かった。一方、命がけで働く男たち対し、島の女性たちは寛容である。生きて家に帰れたらそれでいい。言葉にはされなかったけれど、乱暴にまとめるとそのくらいの覚悟が感じられた。イザイホウの神事は、4年に1度、ほぼ1カ月ほどの期間を費やして行われる。

宗教と個人の自由について、人間の命と魂の幸福などについてぼんやり思いをめぐらせながら儀式の様子を眺めた。
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2015年03月05日

「ジミー、野を駆ける伝説」 自由に踊るこころ

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2015年2月12日(木)

『ジミー、野を駆ける伝説』
監督:ケン・ローチ
原題:Jimmy's Hall
場所:新宿ピカデリー

ヨーロッパの教会による民衆の抑圧については過去にいくつかの本を読んだ記憶があるけれど(とくに思い出されるのは『オルガスムの歴史』)、30年代のアイルランド社会がこれほどまで宗教に支配されていたとは。舞台はとある小さな村なのだけれど、聖書を盾にした神父の言葉による抑圧だけではなく、その村にはIRAなどとも繋がる暴力も横行している。労働に勤しみつつましく暮らす村の人々、とくに若者たちには娯楽がなく、こうした状況に不満を鬱屈させているのだが、そこへジミー・グラルトンが帰郷し、彼らの要請を受けて伝説のホールを再開させる。人々は、そこで歌い、踊り、または美術や格闘技など修練に興じる。

これをきっかけに激化する村人たちと教会の対立が描かれるのだけれど、本作の見どころはやはり音楽とダンスにあるのだと思う。とくにダンスは教会に対抗するためのある種の武器というか、人々の自由を象徴する行為として描かれているので印象深い。村民は暴力によらず、伝統的な様式に限らない、たとえばジミーがアメリカから持ち込んだジャズなどによるダンスで抑圧に抗おうとする。ときに、このダンスがある種の祈りのようにも感じられる。

善と悪、人間の自由と秩序について、また暴力によることのない異議申し立ての方法などについて。無数の紛争とともに今後もこの世界は回り続けるのだろうけれど、よりよい方向に向かうよう我々は祈るしかない。
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2015年02月26日

「ACTOR・シミズイサム」 滑稽と哀愁のモノクローム

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2015年2月8日(日)

『ACTOR・シミズイサム』
作家:森山大道
場所:Akio Nagasawa Gallery 銀座

森山流のユーモアとペーソスが感じられるシミズイサムのポートレート。発表機会の少なかったレアものだそうで、眺めていて昭和に対する郷愁のような感情がこみ上げくる。躍動感のあるシミズ氏の身振りと、おどけた表情の裏側に感じられるある種の哀しみ。かつて芸能の世界を眺めるときに感じられたあの陰影はどこにいってしまったのだろう。影は排除され、この世界は光に満ちる。森山大道のモノクロームに惹かれるのは、気づかぬうちにその眩さに疲れているからなのかもしれない。
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「さらば、愛の言葉よ」 次元の狭間で

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2015年2月10日(火)

『さらば、愛の言葉よ』
監督:ジャン=リュック・ゴダール
原題:Adieu au langage
場所:シネスイッチ銀座

初の3D体験はゴダールで。
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2Dと3Dの間を行き交う、さらに時空を越える映像世界に言葉を失う。男女の諍い。流血。森。犬。睡魔と戯れる時間帯もあったけれど、でも心地よかった。もう言葉は聞きたくない。ずっと映像を眺めていたい。犬が可愛いかった。
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2015年02月19日

「二重生活」 すべては宙づりのままに

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2015年2月6日(金)

『二重生活』
監督:ロウ・イエ
原題:浮城謎事 Mystery
場所:Uplink X

若者が酒に酔い、クラブで踊り狂い、叫び、車を暴走させる。絡み合う男と女。こうした風俗を眺めていると、これまで別世界に思えた中国がどこか身近に感じられる。幼稚園で遊ぶ子供たち。女性たちは街でショッピングを楽しんでいる。そして、仲睦まじくみえる夫婦。二人の間には幼い娘がいる。夫は会社を経営しているようで、経済的にも恵まれた暮らしを送っている。

本作は、ある夫婦の秘密が露わになるある事件を描いている。簡単にいうと不倫絡みの犯罪劇なのだけれど、ロウ・イエは犯人探しにあまり頓着しない。というか、真犯人は判ってはいるのだけど、そこに辿り着こうという意思があまり感じられないのだ。ロウ・イエ流のサスペンス劇は、なにも解決することなく全てを宙づりにしたまま幕を閉じる。

冒頭の車の暴走シーンとラストの高速道路が印象に残る作品だった。あの車の描かれ方に今の中国社会のあり様が投影されているのだろう。今後のロウ・イエ作品にも注目したい。
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2015年02月17日

「Cosmic Perspective」 生命を包み込む世界

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2015年1月31日(土)

「Cosmic Perspective」
作家:塩保朋子
場所:SCAI THE BATHHOUSE

紙のような素材に切り絵のような細工を施して形づくられる作品群。作品の近くに顔を寄せると、手仕事による繊細な技術が感じられる。離れて眺めると、それがある種の生命体のような不思議な空気を漂わせる。

もっとも気に入ったのは、奥の暗室に展示されていた「Universe」という大作。母体や宇宙など、暗がりの中に生命を包み込む世界の広がりが感じられた。現代美術はコンセプトもそうだけど技術も大切だなと。
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2015年02月16日

「デヴィッド・ボウイ・イズ」 エイリアンを愛す

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2015年1月28日(水)

『デヴィッド・ボウイ・イズ』
監督:ハミッシュ・ハミルトン 
原題:David Bowie Is
場所:新宿ピカデリー


ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)で2013年3月23日-8月11日に開催された回顧展。そのドキュメンタリー。

10代のとき、初めて自費で購入したアルバムはボウイの代表作「ジギー・スターダスト」だった。ボウイは自らが「宇宙人」であることを初めてカミングアウトしたロックスター。彼は、その後も繰り返しそのペルソナを更新し、創作のスタイルを変化させながら、ロックの領域を、また音楽に限らず視覚表現の世界をも拡張し続けた。本作では、その過程を様々な映像を通して追うことができる。

当時、そうしたボウイの存在がぼくの心の拠り所だったことを思い出した。この世界に対する違和感。言葉にすることもできず、だた漂流するばかりの心。ボウイは、そうした魂の動きをすくいとり、ロックの中に籠めて、この世界と衝突させ、爆発させたのだ。ぼくは時系列に彼のアルバムを購入しながら、その火の粉のようにきらびやかな世界に心酔した。そして10代の時を生き延びた。

2年前、夏休みにロンドン旅行を企てたのだけどスケジュールが合わず断念。回顧展を観るという夢は果たせなかった。日本への巡回もないようなのでかわりに図録(限定の日本語版)を購入したのだけれど、こうして動く映像を観るとより体験に近づく。いろんな思い出が蘇って、胸が少しチリチリとした。
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2015年02月10日

青山で写真三昧

1月24日(土)
妻が睫毛のエクステンションをつけてる間、ギャラリーをハシゴ。写真展を眺めた。

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森山大道『Dazai』(AM)

森山大道が描く太宰治。『ヴィヨンの妻』が下敷きになっているようだけど、それより森山大道の色が前に出た写真だった。しかしこの迫力はどこから湧き出ているのだろう。

***

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『TANGE BY TANGE 1949-1959 丹下健三が見た丹下健三』(TOTOギャラリー・間)

丹下健三の初期に注目し、作品ごとにコンタクトシートが展示されている。又、中庭では大きく引き伸ばされた写真を見ることもできる。年末年始、Eテレで見た建築関連の番組でにわかに丹下健三のことが気になりだし本展に足を運んだのだが、その方面の知識があればさらに楽しめたと思う。印象に残ったのは広島平和記念資料館のコンタクトシート。なにもない広場にモダンな建築物が立ち上がり、また、そこに多くの人々が流れ込んでゆく。

***

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ホンマタカシ『チャンディーガル(Chandigarh)』(CoSTUME NATIONAL ・LAB・)

ル・コルビュジエによる都市計画で国際的に知られるというチャンディーガル。といっても、この日までそうした背景は知らなかった。ギャラリーには写真の展示だけではなく、現地で撮られた映像も流されていた。いかにもアジア的な喧噪。その背景に広がるモダン建築。色彩が綺麗だった。

まだ文章を書くことに馴染めてないのだけど、ぼちぼちといきたい。
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2015年01月14日

『フタバから遠く離れて 第二部』 分断される共同体

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舩橋淳監督 『フタバから遠く離れて 第二部』 (ポレポレ東中野)

3.11以降、双葉町の住民たちは埼玉県加須市に避難、または福島県内の仮設住宅で暮らしている。加須市内の廃校内に設えられたプライバシーのない避難所の暮らしはやはり貧しいもので、そこに取り残された人々は互いに身を寄せ合いながら毎日をやり過ごしている。仮設住宅にしても、世帯ごとに仕切られてはいるけれど、そのつくりはあまりに簡素で、そこに住む人たちによると、隣人の生活音がほぼ筒抜けになり、さらに共同トイレの音もそのまま聞こえてしまうのだという。憲法25条にある権利をいつ行使すればいいか、女性たちは笑いながら語っていた。

一方、井戸川前町長の不信任決議による辞任、その後任となる伊澤新町長で進められる復興政策など、町民を巡る政治状況も変化をみせている。しかし当然のことながら、政治の力だけで町民の暮らしが元通りになるわけではない。それどころか、諸々の政治判断によって、避難所は閉鎖され、帰る先であるはずの双葉町には核廃棄物の大規模な中間貯蔵施設が建設されてしまうのだ。

双葉町民の避難の様子を通して見えてくるのは、事故の影響に、政治に翻弄され、分断される人々の姿だった。残念ながら、この三年で事態が復興に向かっているようには感じられない。むしろ共同体は崩壊に向かっているのではないか。そう思える場面もある。

やはり、あれは取り返しのつかない事故だったのだ。少なくとも、ぼくが生きている間に双葉町が元の状態に戻ることはないだろう。少なくとも今の時点で、町の復興のための力を政治や科学は持ち合わせてはいない。悲しいことに、この第二部は完結編ではなかった。この事態がいつ完結するのか、この世界の誰にも分かりはしないだろう。
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2015年01月12日

『王国』 隔絶された世界 その孤独と連帯

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奈良原一高 『王国』 (国立近代美術館 MOMAT)

facebookで見かけ、面白そうだったので妻を誘って鑑賞。会場は常設展のブースの一部で、『王国』に加えて『人間の土地』など別の作品の展示もあった。北海道の修道院と和歌山の女性刑務所、さらには軍艦島など、この世界から隔絶された空間で生きる人々の姿を切り取っている。私的には、より「作品」らしく撮られた『王国』よりも、デビュー作にあたる『人間の土地』の方が好みだった。

MOMATのウェブサイトより、タイトル『王国』の由来について引用しておく。

*****

タイトルの「王国」は、アルベール・カミュの中篇小説集『追放と王国』(1957) にちなんでいるものです。奈良原は、同書におさめられた一篇「ヨナ」の結びにある以下の一節を、作品発表時に引用しています。

「その中央にヨナは実に細かい文字で、やっと判読出来る一語を書き残していた。が、その言葉は、Solitaire( 孤独) と読んだらいいのか、Solidaire( 連帯) と読んだらいいのか、分からなかった。」


*****

孤独と連帯。あの作品群とこの言葉はどのように繋がるのだろう。隔絶された世界と連帯について。奈良原一高は読書家なのだろう。調べたら、瀧口修造などとも交流があったようだ。詳細は忘れてしまったけれど、『ブロードウェイ』のコンセプトも面白いものだった(ただし、魚眼レンズで撮られた作品群はあまり印象に残らなかったけれど)。写真の範囲にこだわらず今のテクノロジーで表現された『ブロードウェイ』を観てみたい。
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