2008年11月16日

「夫婦茶碗」 近代の妄想、そして自滅

町田康著 『夫婦茶碗』 (新潮文庫)

妄想世界に逃げ込め。

meoto_jawan.jpgうだつのあがらない男が、いよいよ追いつめられて妄想世界へと逃避していく。その様が、滑稽に、そして哀しく、無残に描かれている。

とにかく、生き延びるにはカネが要る。カネが要るのでなにかしなければならないのだが、男は、こつこつとした労働の積み重ねではなくして、おのれの創意工夫でその困窮を乗り切ろうと足掻きだす。一発逆転の発想である。がしかし、彼のその創意を支える想像力はどこか歪んでいて、創造というよりはどちらかというと破壊的などす黒い妄想であり、だから彼のたどる道は恐ろしく暗い闇に包まれている。彼は、その闇の奥底へと向かう負のスパイラルをじたばたしながら転がり落ちていくのだった。

まさに人間の屑。もうどうしようもない。しかし、屑であるとしてもこの世に生を受けたからにはその命を全うしようとあがくのは当然で、その様が、いかに愚かで、醜く、賤しいものであるとしても、それを責めることは誰にもできはしない。というか、人間はそもそも愚かな生き物であり、だから株価も大暴落するのだし、次々と経営が破綻するのであって、つまり人間の屑とは、そうした人間の愚かさを一身に背負ったある種の身代わりであるといえる。しかし、身代わりであることを受け入れようとしない、あるいはその自覚すらない人間の屑は、その性根が屑であるがゆえにおのれの愚かさをこの世に晒し、撒き散らしながらわけのわからんことを叫ぶしかない。その一形態を、パンクと呼ぶ。


posted by Ken-U at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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