2008年12月31日

忘年x6

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12月某日(火) 晴れ

僕が主催する販売スタッフとの忘年会も二回目を迎えた。いまの会社はたいへんにケチで、販売スタッフにカネをつかおうとはしないので、僕はできるだけ自腹を切って彼女たちのケアをするようにしている。彼女たちは、いま、僕の唯一の同僚であるといってもいいのだから、僕は自腹を切り、その痛みを肌身に感じる必要がある。スタッフの総勢は六名(もう一名は欠員のまま)。うち一名は契約社員、その他は派遣社員である。派遣にもいろいろとある。

今年は、Sさんが抜けたことをのぞくと脱落者もなく、去年欠席した人も加わり(これで出席率100%)、あと、直接には関係のない人二名が飛び入りしたこともあって、僕を含めて九名とにぎやかな会となった。会場は、飛び入りメンバーの顔がきく店だということで、この店であれば自腹を切ったとしても傷が浅くてすむだろう、というある参加者の配慮があった。たいへんありがたいことだと思う。でも、最後は忘年会だかなんの会だかわからない感じで終了する。でも、まあいいかと思った。けっこう酔う。

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12月22日(月) 晴れ

小さな一軒家を改装した飲み屋が会社の近くにある。そこで会社の若いデザイナーたちと忘年会を開いた。総勢四名が二階の座敷でわいわいとやった。ここは料理を真面目につくっていて、日本酒の品揃えにも力を入れている。いい店だと思う。ここは会費制にして、彼らにも少し負担してもらった。来年は、このメンバーでちゃんこを食する予定。関西人もひとりいることだし、次回はもっとトークをがんばろうと思った。

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12月23日(火) 晴れ

約半年振りの再会。そして忘年。出会ったときは皆20代だったのに、彼女たちももういわゆるアラフォーである。店はオーストラリア系キュイジーヌ。予想が難しかったが料理はどれもおいしかった。会話もはずみ、とにかく愉快な会であった。で、気づくと深夜一時前。あわてて見送り、徒歩にて帰宅。火照った頬に夜風が心地よかった。

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12月26日(金) 晴れ

昼。一年以上ぶりに彼女と再会する。国内出張の際、商談中に彼女の社名が出て、ふと思い出してしまったのだ。で、ふたりでランチ忘年会を開く。でも、銀座のわりには辺鄙な店を指名される。ほんと、この人は自分で誘うくせしていつも僕を冷遇するたいそう意地の悪い女なのだ。でも、訊くと、いろいろたいへんだという。上司が若い女の子を雇い入れ、彼女に辛く当たっているらしいのだ。あと、景気の話もした。市況の煽りを受け、彼女も商品のエントリープライスを見直したそうだ。いくらくらい、と訊いたら、下げて28万かな、と答えた。別世界を感じる。

夜。会社の納会的なものを終えて移動。いつもの店で忘年会を開いた。がしかし、日が悪かったのか欠席、ドタキャンが相次ぎわずか三名による小さな会となった。ここのところ、三十路も後半に入って色情に狂い不倫デビューを果たす人や、彼氏ができたとかなんとかで音信不通になる人、結婚を機に国外脱出する人など、この会のメンバーも激変している。Kくんが、もともとKen-Uさんが女たちに囲まれるっていう会でしたよね、といい、ああそうだったね、と答えた。で、いつものように長居。帰宅したら朝の4時過ぎだった。

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12月27日(土) 晴れ

近所の蕎麦屋でひとり忘年。ここは僕がひとりで飲む唯一の場所で、とにかく料理が旨い。なので、店ができた頃から度々かよっている。名前も憶えられ、ひょっとするとやや常連価格なのかも。ほどよく食らい、酔う。そして軽く挨拶。来年につなぐ。本年はこれにて締める。

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今年ももうすぐ終わる。今年もいろいろあったけれど、来年もまたいろいろあると思う。


posted by Ken-U at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常のひとコマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「マシュー・バーニー:拘束ナシ」 創造的跳躍と負荷の関係

アリソン・チャーニック監督 『マシュー・バーニー:拘束ナシ』 (ライズX)

原題:『MATTHEW BARNEY : NO RESTRAINT』

映画『拘束のドローイング9』(過去記事)の舞台裏。及び、マシュー・バーニーのプロファイル。

no_restraint00.jpg「拘束」とは創造に不可欠な抵抗力であるというマシュー・バーニーの思考は、かつてアスリートであった彼自身の経験に基づいている。負荷をかけたトレーニングにより筋力や技術力が向上するように、拘束に対する反発によって芸術的創造性が増すというのだ。本作を通して、そうした彼の創造に対する基本姿勢を再認識することができ、とても興味深く感じた。実際、デビュー当時の作品からこれまで、彼は一貫して自分の身体を拘束させつつ、その負荷に反発するように自身の作品を創作し続けている。あるいは、その創作行為自体を映像に収め、その過程を作品化しているのだ。

しかし面白いのは、これまで彼が創作した作品群と、彼のいわゆる「体育会系」的な創造のアプローチの間に距離、あるいはある種の断絶があるところで、実際、彼が創作するオブジェクトや『拘束のドローイング9』のような映像作品から彼の創作姿勢を見通すことは困難だと思える。この距離、あるいは断絶を生み出すためにはある種の創造的跳躍が必要になるのだと思うけれども、その跳躍に一役買っているのがワセリンで、しかしこのワセリンがなぜ彼の創作の中で重要な媒介役を果たしているのか、その理由は謎に包まれている。とにかく、彼は子供のころから好んでこのワセリンをつかって創作をしていて、実際、彼はデビューの際にもこのワセリンをつかったオブジェクトを発表しているのだ(ワセリン製のダンベルというオブジェクトの中に彼のすべてが凝縮されているのかもしれない)。

とにかく、分析的にマシュー・バーニーの創作背景を眺めてみても答えを見い出すことは不可能なのだ。今ここでいえることは、そこには創造的跳躍があるということと、その跳躍力が観る者の心を揺さぶるという事実である。もし、その跳躍力が強い負荷を乗り越えることによって得られているのだとしたら、私がこの世で最も嫌悪する負荷(ストレス)もまんざらではないと認めざるをえない。つまり、発想の転換である。負荷と創造の関係を見つめ直し、応用して、自分の将来に役立てることができればと思う。
posted by Ken-U at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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