2009年01月25日

「三つのエコロジー」 自滅的思考からの脱却

フェリックス・ガタリ著 『三つのエコロジー』 (平凡社ライブラリー)

環境のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジー。

les_trois_ecologies.jpgここでガタリ氏は、エコロジーという思想を環境保護運動の枠の中に閉じ籠めるのではなく、これを人間社会(社会のエコロジー)や個人(精神のエコロジー)の領域にまで導き入れ、彼自身がエコゾフィー(ecologie + philosophie)と呼ぶ総合的思想として捉え直そうとしている。

『したがって、実践的かつ思索的、倫理‐政治的かつ審美的な新タイプのエコゾフィーこそが、旧来の宗教的、政治的、連合的などなどのアンガージュマンの形態に取ってかわらねばならないと私には思われる。それは内面への自閉にむかうということでもなければ、古いタイプの「活動家主義」の単なる刷新でもない。むしろ、分析的で主観生産的な諸装置と諸審級を設置することをめざす多面性をもった運動が大切なのである。個人的・集団的な主観性が、自己同一性に囲い込まれ、「自我化」され、個人的に仕切られた境界区域からいたるところではみ出し、社会体の方向だけでなく、機械領域、科学技術的な参照の場、美的世界、さらには時間や身体や性などの新たな「前‐個人的」理解の方向へと、全方位的にみずからをひらいていくようにならなければならない。再特異化の主観性が欲望や苦痛や死といったようなすがたをまとった有限性との遭遇を真正面からうけとめることができるようにならなければならない』(p.70-71)

エコロジーを謳う商品が大量に生産され、消費され、それが塵として灰になり果て、あるいは地中にそのまま埋め立てられて腐乱していく。そうした過程を眺め、想像しているうちに、エコロジーという価値観そのものが塵化して廃棄されているような気がしてきて、絶望的な心持ちになる。が、それではいけないのだ。本書に触れ、私は私にできうる限りのことをしようと思った。それはやはり環境保護に限ったことではなく、どちらかというと、再特異化に向かう意思というか覚悟といえばいいのか、とにかく私は、反エコロジカルな力に飲み込まれてその運動に同化し、平坦に均されることをこれからも拒否し続けたいと思う。

『生産のための生産、成長率を上げようという強迫観念は、資本主義市場であれ社会主義経済であれ、とてつもない不条理にいたりつくのです。人間活動の唯一受け入れ可能な合目的性は、世界との関係を持続的なやり方でおのずから豊かにしていく主観性の生産にあります。主観性の生産装置は、巨大都市のレヴェルでも、詩人のことば遊びのレヴェルでも、ひとしく存在しうるものです。このような主観性の生産の奥深いバネ−存在を自己創造していく意味の切断―を把握させていくためには、今日、私たちにとって、おそらく、経済学や人文諸科学を寄せ集めたもの以上に詩から教えられるところの方が多いのではないかと思われます』(p.100)

日常の中の違和感をもっと大切にしたい。
posted by Ken-U at 00:24| Comment(2) | TrackBack(1) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

Liga Espanola + Premier League

リーガ・エスパニョーラ 第19節

バルセロナ vs デポルティボ

barcelona09011702.jpgあいもかわらずバルサが強い。スペイン国内ではもう無敵である。ほんと、強すぎて可愛げなくみえてしまう。今季を考えると、マドリーがあれだし、ビジャレアルは息切れ気味、ヴァレンシアは復活しつつあるといってもまだまだだから、あとはセビリアなのだけれどもたぶんそこまではいかないだろう。だとすると、これはサッカーでは言ってはならないことなのだけれども、ほぼ決まりかな、と思う。

あとはCLに期待したい。もうトーナメントだし、バルサが強豪相手にいまの強さをそのまま発揮できるかどうか。はらはらしたい。

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イングランド・プレミアリーグ 第22節

ボルトン vs M.ユナイテッド

ボルトンはよく守った。彼らはできることをやりきったと思う。でも、ユナイテッドが強すぎるのだ。なんだ、あのベルバトフは。スーパーじゃないか。あの底力はいかにもユナイテッドって感じがして恐くていい。これも早くCLで観たい。

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ハル・シティ vs アーセナル

アーセナル特有のあの流動性溢れるサッカーはすっかり影を潜めてしまったけれど、でもいまのしぶといサッカーもあれはあれで悪くはないのかなあ、とも思う。いいゴールを決めていたし。しかも、あのベントナーがまたもや決めたのである。彼は後半途中から出る方がいい。

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どの試合もあまり集中できなかった。体調が悪かったせいもあるし、家事をしながら観た試合もあった。もっとはらはらする試合がみたい。
posted by Ken-U at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(欧州) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

欧州リーグはもうとっくに再開している

腹の具合が悪かったり会社といろいろあったりで、観戦記録が滞ってしまっている。

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イングランド・プレミアリーグ 第21節

M.ユナイテッド vs チェルシー

m_united09011100.jpg気づくと、今季のユナイテッドも刃金のように強くなっている。もちろん、チェルシーもそれなりにやってはいたのだけれど、ユナイテッドはそのわずかな隙を突いて着々とゴールを重ねていくのだった。結果、赤い悪魔の完勝だった。で、印象に残っているのは、いつのまにかチームにフィットしているベルバトフのあの優雅なプレーぶりと、あと、やっぱりいまのユナイテッドといえばルーニーなのかなあ。それに、ギグスとネヴィルは渋みをみせつけていたし、パクもあいかわらず献身的に走り回っていた。このチームは本当によくオーガナイズされていると思う。それも、今季はケイロスがいないにもかかわらずこの強さを発揮できているのである。恐ろしや、ファーガソン卿。このままいくと、今年もプレミアはユナイテッドになりそう。

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アーセナル vs ボルトン

ぎりぎりのアーセナルがぎりぎりで勝った。前節同様、もうほんと、ぎりぎりであった。それも、途中出場のあのベントナーが決めての勝利である。正直、複雑な想いがする。でも、ヴェンゲルはほんとうに辛抱強い監督だと感心する。

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ストーク・シティ vs リバプール

ストークがホームの意地をみせ、どうにか踏ん張った。僕は、ストークのあのスタイルは絶対的に嫌いだし、認めたくはないのだけれど、でもなぜか観ているうちに彼らのほうに肩入れしてしまう。あれはいったいなんなのだろう。生き残りのためにできることをやりきっている、というあのひたむきさがいいのだろうか。ストーク、来季もプレミアでがんばってほしい。

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イングランド・プレミアリーグ 第20節

アーセナル vs ポーツマス

崖っぷちのアーセナル。この試合もなかなか得点することができず、攻めながら窮地に追い込まれた。が、後半の後半、ベラ、ラムジが投入されて以降、組織がよみがえった。とくにラムジが効いていたと思う。その末、ここのところいろいろあったガラスが決め、勝利。アーセナルとしてはよい勝ち方だったといえる。

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リーガ・エスパニョーラ 第18節

オサスナ vs バルセロナ

バルサ、一時はどうなるかと思ったけれど、最後は個人技でオサスナをねじ伏せてみせた。ほんと強いな、今季のバルサは。

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ヴァレンシア vs ビジャレアル

あの政治的なドタバタ劇以降、もうすっかりヴァレンシアを見放していたのだけれど、こういう試合をみせつけられると、やっぱりヴァレンシアがピリッとしないとリーガはなあ、なんてことを素直に思う。とはいえ、ビジャレアルも好チームなので応援しているし、だからどっちも負けるなよお、なんて都合のいいことを念じながらみていたので引き分けに終わってよかった。でもちょっと残念なような、ほっとするような、そんな心持ちであった。さすが、いまのビジャレアルには地力がある。でもこれからは、またヴァレンシアの試合も観なくちゃなあとも思った。

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リーガ・エスパニョーラ 第17節

バルセロナ vs マジョルカ

今季のバルサで気づいたこと。それは、ロナウジーニョやデコをはじめとするブラジル人プレーヤーが一掃されていること。いまはもうシウビーニョくらいしかいないのではないだろうか。今季のバルセロナは、素行に問題の多いブラジル人プレーヤーを排することで秩序だったサッカーができているといえる。だから強いのかもしれないし、たぶん、そのせいでもうひとつぐっとこないのだろう。というか、それはきっとブラジルのせいだけではないのだろうけれど。でも、とてもいいサッカーをしている。

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レアル・マドリー vs ビジャレアル

クリスマス休暇明けだというのに、ビジャレアルの選手たちはまだ疲れているようにみえる。この規模のクラブにとって、CLと自国リーグの二足のワラジはかなりの負担になってしまうのだろう。とくにマルコス・セナ、ピレスといったベテラン選手の疲弊が目立つ。マルコス・セナについては、たぶんユーロの影響もあるのだろう。とはいえ、惜しかったなあ。引き分けてもおかしくない試合だと思ったのだけれど。

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今週はいろいろあったせいもあるのだろう、いつになく体調が悪かった。とくに木曜未明、腹痛で目が覚め、もぞもぞしているうちに朝になり、下し、こりゃどうしようか、と思っているうちにまた下し、みたいなことを繰り返しているうちに昼過ぎに。途中、欠勤の連絡を入れ、電話を通していくつかの用をこなしながら、それでもトイレに駆け込む以外、ベッドから出ることはできなかった。当然、昼食を抜き、夕食は粥と梅干し。おそらく10年以上ぶりになるであろう質素な献立であった。
posted by Ken-U at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(欧州) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

「バイバイ ポラロイド」 photo, cinema, life...

森山大道 『バイバイ ポラロイド』 (タカ・イシイギャラリー)

昨夏、ポラロイド社はインスタントフィルムの生産を終えた。バイバイ、ポラロイド。

bye-bye-polaroid00.jpgギャラリーの壁に、森山大道によるポラロイド写真が横一列に並べられている。その高さは1メートル20〜30センチくらい。僕はやや腰を曲げ、少しずつ横にずれながら、隙間なく並ぶその写真群を眺めた。よく思い出せないが、たぶん、20〜30分くらいで鑑賞できたと思う。

さすがだなあと思ったのは、いわゆる即席プリントであるにもかかわらず、それぞれの写真がとても森山大道らしく仕上げられているという当然といえば極々当然なところで、しかしよくよく考えてみると、作家の手の届かないところでプリントされるポラロイド写真が作家の掌中にどうしてあれほど見事に収まるのか、職人の技とはなんとも摩訶不思議なものだとつくづく思う。さらに、それぞれの写真には、路地裏、擦れた広告、看板、窓ガラスやショーウィンドウの向こう側、空に走る電線、雲、唇、花、そしてユーモラスでありながらどこか哀しげにみえる自画像など、彼の世界が凝縮して詰め込まれている。その即席写真が、ギャラリーの壁(六面ほどだったか)にずらりと並べられているのだ。それは写真でありながら、映画であり、ライフであった。

ギャラリーの帰り、一緒に観たデザイナー(の卵・26歳・♂)といろいろ話しをしていたら、ライフですね、と珍しくいいことを言った。で、愉快になり、その後、わざわざ会社の最寄り駅まで立ちもどって、例の一軒家にあがりこみ、飲んで、食らった。ゆるりとしたいい夜だった。奢るかわりに、やつの「ライフ」という言葉をこっそり盗みとってやった。
posted by Ken-U at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月04日

「うつろ舟」 諸行無常

澁澤龍彦著 『うつろ舟』 (河出文庫)

表題作など八編。

utsuro-bune.jpg本書を読み終えて数ヶ月がたち、その記憶はすっかり霞んでしまっている。たしか、大人向けのお伽噺のような短編集だったと思う。ある日、どこからともなく女が現れ、男と交わって、ふたたび姿を消す。その女はいったい何者だったのか、あの肉体は、得られたはずの悦びは果たしてこの世のものだったのかどうか。そのすべてが判然とせぬまま男は途方に暮れ、女をさがしてさまよい歩くうちに行方知れずとなる。

仕事に疲れ、殺伐としたこの世にうんざりしているときに読んだので、よい息抜きになった。この世に確かなものなどありはしない。すべては虚ろ、幻想に過ぎないだ。
posted by Ken-U at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月02日

初詣 2009

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今年の初詣は例年と同じく、近所の神社二ヶ所、寺社二ヶ所をまわる。天気もよく、厚着をして歩き回ると汗ばむくらいの陽気だった。

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まず、駅の近くにある寺。ここには不動明王が祀られている。明治期、廃仏毀釈運動の難を逃れ、青山を経て、ここに辿り着いたそうだ。天上界と地上界の間にたなびく青い雲の色に基ずく不動尊であり、天と地の連絡をとりもつことから、いまでは「縁結びの不動」として知られているという。

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次は、この街の鎮守様が祀られている神社へ。その歴史をさかのぼると平安期まで辿ることができるという。天気のせいか、今年は人が目立った。

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引き返し、近所の寺へ。この裏にある小高い丘は、縄文時代から続く聖地であった。が、いまでは超高級マンションが屹立する。かつては、境内の上に広々とした空があったのに。景観破壊。しかも、分譲開始直後に株の暴落。ビルは墓である、という荒木経惟の言葉を思い起こす。墓場の上に空虚なビルが浮かんで見えるという皮肉。

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その脇には聖徳太子を祀るお堂がある。ここにも参る。

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それから少しだけ歩き、隣街の神社へ。ここの社殿は少し高いところにある。この神社も縄文期の聖地と繋がりを持つ。

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その脇にあるお稲荷様にも参る。

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今年は、無病息災、商売繁盛を心の中で唱える以外はほぼ無心で手を合わせた。
posted by Ken-U at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常のひとコマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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