2009年05月30日

CL FINAL ファイナルの魔力、歓喜の爆発

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UEFA CHAMPIONS LEAGUE - Final

FCバルセロナ vs マンチェスター・ユナイテッド (ライヴ観戦)

勝負は紙一重。試合開始と同時にまずユナイテッドがバルサを圧倒して、ドリブル突破を試みたロナウドが絶妙の位置でFKを得た。が、ヴァルデスがぎりぎりのところで抑える。眉間に皺をよせるロナウド。その後もユナイテッドの優勢は続いたのだけれど、しかしそれも前半10分まで。その時、エトオがその超人的能力を爆発させてこの危機的状況を逆転させたのだ。ペナルティ・エリア右の深いエリアでボールを持った彼は、時空をまたぐ切り返しでユナイテッドDF陣を切り裂き、さらにあのファン・デル・サールのニアを破って先制ゴールを突き刺した。歓喜の爆発。乱舞するバルサ、消沈するユナイテッド。ここですべてが逆転して、それまで渾然一体であった選手たちを光と闇、天国と地獄に分け隔てたのである。

その後は一方的なバルサのゲームとなった。彼らは圧倒的にボールを保持し、それをくるくる回して赤い悪魔たちを翻弄し続けたのだ。そして後半25分にメッシがとどめを刺し、ユナイテッドの息の根をとめた。

注目したバルサ両SBは、予想どおりシウビーニョとプジョルの先発であった。しかも、彼らは縦に突破することを自重し、ボールがまわるとそれを一旦とめて、内側のCBかMF、とくにチャビかイニエスタに預けてその後の守りに備えるのだった。これはたぶん、ユナイテッドの両サイド、とくにロナウドの突破を警戒したチーム戦術だったのだと思う。結果、僕の希望通りに、ベテランがバルサの両サイドをきゅっと締めてくれたのである。とくに後半、ロナウドを徹底的に殺したプジョルの執念は素晴らしいと感じた。

結果はバルサの完勝だったけれど、でも勝負は紙一重だったと思う。もしあのときロナウドが決めていれば、あるいはほかの誰かがエトオみたいに強引なゴールを決めていれば、おそらくユナイテッドの命運はこれとは全く異なる軌跡を描いていただろう。でも、彼らにそれはできなかった。ここにファイナル特有の磁場を感じる。その磁場はロナウドの脚の神経を冒し、彼を含むユナイテッドの選手たちの神経、及び判断力を微妙に狂わせたのだ。その一方で、エトオ、メッシはその磁場をおのれの力に替え、前半10分、後半25分に炸裂したあの決定的なゴールに結びつけた。

バルセロナは最後までバルセロナらしくプレーし続け、結果、ビッグイヤーを得た。今季のCLは、最もよいプレーをしたチームが優勝するという意外に珍しい結果で幕を閉じた。翌日、先日のパリ出張で知り合ったバルセロナの会社の人に祝福のメールを送り、すぐに返事を受け取る。今、彼女たちはバルサとともにVery Happyなのだそうだ。
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2009年05月24日

「ウェディング・ベルを鳴らせ!」 めぐる命、結ばれる男と女

エミール・クストリッツァ監督 『ウェディング・ベルを鳴らせ!』 (シネマライズ渋谷)

原題:『ZAVET』

この宇宙はぐるぐる回りつづける。

zavet00.jpgすべてがぐるぐる、ごろごろと回り転がりながら、それでも迷いなくハッピーエンドへ雪崩れ込む展開にわくわくした。その様子はさながらサーカスのようで、連続するアクロバティックな光景にこころ躍った。皆が、笑ったり、歌ったり、泣いたり、怒ってみせたりして、そのうえ回転したり、宙吊りになったり落っこちたりでもう愉快なのだ。無数の弾丸が飛び交い人々の命が危機に陥る場面もあるのだけれど、しかしその雨あられの如き弾丸は彼らを避けるように飛ぶのである。ファンタジーの世界。ここで未来は保証されているのだと知れ、安堵して皆の行方を見守ることができた。

この作品は主題として世代交代を扱っている。しかも、その世代交代は価値観の大きな転換を伴なっているようにみえる。それは序盤に描かれる、祖父が国歌に涙する姿と、孫が女性の裸体を覗きみながらへらへらする姿の対比に如実に顕れている。あるいは、それはそそり立つ塔が折られ倒される光景、さらには男根が切り取られるという直接的なシークエンスの中に描き込まれている。つまり、ここでは男性優位主義的な価値観(しかもそれはアメリカと強く結び付けられている)がことごとく破壊されているのだ。そうした価値観の移行がどたばたとおこなわれる中、男と女が恋に落ちて、交わり結ばれてゆく。愛の炸裂。鐘が鳴り響き、無数の銃声が音楽へと変わり、すべてを歓喜に包み込む。この未来はファンタジーの中に。
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2009年05月19日

欧州リーグ 2009 優勝劇+

イングランド・プレミアリーグ 第34週

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M.ユナイテッド vs アーセナル

引き分けでもユナイテッドの優勝が決まるということもあり、結果、均衡は破れず。正直、この試合にはもっと攻撃的なフットボールを期待していたのだけれど、しかしこれによりユナイテッドはホームで手堅くトロフィーを手に入れ、対するアーセナルもユナイテッド戦連敗の悪夢をまぬがれることができたので、まずまず。まあ、これもプロのリアリズムということなのだろう。でも、ゲーム終了後、ユナイテッドの選手たちが思いのほか喜んでいてそれがなにより。やっぱり優勝は優勝、そりゃあ嬉しいのだ。とくにパク・チソン、彼は去年のこともあるからことのほか喜んでいて、その無邪気な笑顔が深く印象に残っている。

***

ビジャレアル vs レアル・マドリー

ビジャレアル、ここにきてまたよいサッカーをみせている。ピレスのキレ。土壇場の底力。崖っぷちに追い込まれていたマドリーが奈落の底に転がり落ちる瞬間、歓喜に沸くビジャレアルの選手、地元民たち。痺れた。ビジャレアルのCL出場権獲得を祈願しながら。

*****

リーガ・エスパニョーラ 第36節

マジョルカ vs バルセロナ

ダレた試合だった。バルサはいくらもチャンスがあったのに、エトオに得点王を獲らせるがため、彼に必要以上にボールを集めた。結果、自滅。まさかの逆転負けである。しかし、それでも優勝なんだもんねー、ってゆるみがチーム全体から溢れ出ていて、まあこれもプロのリアリズム、ある種のご褒美なのだと自分を説得した。ほか、特記なし。

*****

以下、その他。

イングランド・プレミアリーグ 第33週

M.ユナイテッド vs M.シティ

ダービー・マッチだからと期待していたのだけれど、とくにそれらしき熱は感じず。というか、ユナイテッドが強すぎるのだ。ロナウドとか。テベスとか。いろいろ。

***

イングランド・プレミアリーグ 第30週

リバプール vs アーセナル

熱戦。というか、アルシャヴィンはアーセナルの救世主である。期待はしていたけれど、正直、この時期にここまでやるとは。驚嘆。ロシアからはるばるやってきて、言葉や習慣の問題などこまごまとあるはずなのだけれど、それを感じさせず悠々とプレーしている。来季、アーセナルの立て直しに期待したい。

*****

リーガ・エスパニョーラ 第35節

バルセロナ vs ビジャレアル

CL出場権のかかるビジャレアルが意地をみせた。しかも、後半ロスタイムに二転三転する展開に興奮。シーソーゲームの恍惚。

***

ヴァレンシア vs レアル・マドリー

失意のマドリー、立ち直れず。結果、CL出場権のかかるヴァレンシアが圧倒した。予想以上に一方的な展開となった。

***

リーガ・エスパニョーラ 第34節

レアル・マドリー vs バルセロナ

未明に泥酔状態で帰宅したため、なんとまさかの観戦忘れ。どうにかリピート放送で観ることができたのだけれど、観戦前に薄々ながら結果がわかり、クラシコの興奮が半減してしまった。それにしても、今季のバルサは強い。今季のクラシコは、バルサの復讐劇となった。

*****

リーグの優勝劇はまずまず。今季はCLファイナルに期待したい。
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2009年05月17日

「無意識の不安」 記憶の闇、その視覚化と癒し

塩田千春 『無意識の不安』 (椿会展2009 Trans-Figurative / 資生堂ギャラリー)

shiota_trans_figurative01.jpgギャラリーの奥、黒の毛糸が張り巡らされた一角があり、それが塩田千春の作品であるとすぐにわかる。そしてその張り巡らされた黒い糸の向こう側には、古いミシンと椅子が据えられているのがみえる。記憶の闇。彼女の作品には、無意識の奥底に眠る記憶の断片が投射されているのだと思う。その記憶は暗いものばかりに感じられるけれど、しかし不思議とその作品から陰惨な印象を受けることはない。むしろ、黒い癒し系というか、彼女の作品と向かい合うとなにか安心するというか、どこかほっとするなにかが感じられる。扱われるモチーフは、今回のミシンのほかには服、ピアノ、靴などがあり、それらはおそらく極私的な経験にもとづくオブジェクトだと思うけれど、同時にある種の普遍性を感じとることもできる。その、極私的な領域を外に開いていく力が彼女の作品には溢れている。今後も、彼女の作品は欠かさず観ていきたい。
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2009年05月16日

「ANTWERP FASHION 6+」 記憶、壁の崩壊、モードの夢

『ANTWERP FASHION 6+ | アントワープファッション展』

(東京オペラシティアートギャラリー)

ここでいう「6」とは、アントワープ出身のデザイナー、ダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ヴァン・サーヌ、マリナ・イーの6人を指す。「+」はマルタン・マルジェラと、その後にデビューを果たしたアントワープの次世代デザイナーたち。彼ら王立美術アカデミー出身のデザイナーたちを中心に、当時の作品、ショー映像、イメージフォト、メディア記事などを通して、アントワープ・デザインが当時のモード界に与えた衝撃、その後の軌跡が顧みられている。

antwerp_fashion_6+.jpgとても懐かしく感じられた。たしか、僕とアントワープ・デザインの出会いはドリス・ヴァン・ノッテンのショーだったと思う。といっても、それは自宅のTVで観たのだけれど、あれはたぶんパリで行われた彼の最初のプレゼンテーションで、こじんまりとした一軒家(二層)の中を、モデルたちが、微笑みあったり手をつないだりしながらゆるゆる歩き回るとてもユニークな形態のショーであった。服の色は、生成りや白などのナチュラルなトーン。モデルは男の子も女の子もいて、彼らのまとう服のゆるみ、浮かべる笑み、つながれた手の温かみが折り重なりながら、心地のよいなごやかな空気をその場に醸していた。それは80年代に主流であった構築的で攻撃的ともいえる造形、たとえばティエリー・ミュグレーやクロード・モンタナなどとは明らかに異なるスタイルで、僕はその過激な穏やかさの中に新しい時代の到来を見出し、すっかり魅了されたのだった。

この回顧展でそのショー映像を観ることはできなかったけれど、かわりにマルタン・マルジェラのショー、パリ郊外にある貧民区のガレージで行われた彼のパリ・デビューコレクションの映像を観ることができた。そこでは、現地に住むアフリカ系の子供たちがはしゃぎまわる中、服のような、あるいは服ではないような得体の知れない生地を身にまとったモデルたちが闊歩していた。また、この映像の脇には当時の取材記事(Details, March 1990)の引用が据えられていて、その文章を読み当時のことを思い出してさらに熱くなった。

『今から考えれば、場所の選択―移民の住む荒れ果てたパリのゲットー―と脱構築主義者であるマルジェラのデザインにおける衝撃は、東欧の政治的、社会的秩序の崩壊と共鳴しているかのようだった。10月のあの夜、崩れかけた壁に腰をかけていたショーの目撃者たちは、11月に崩壊する「壁」の上で踊る歓喜に満ちたベルリン市民を不気味にも先取りしていたといえよう』(カタログp.120)

90年代初頭に湧き起こったアントワープ・ファッションの衝撃。その影響は計り知れず、いま振り返ると、これら「6+」のデザイナーたちが生み出すグルーヴが、僕の人生の一部を狂わせたということもできる。ただ、ラフ・シモンズが企業と契約して素顔をさらしたり、マルジェラが第一線から事実上退いたことからもわかるように、いまやアントワープ・ファッションは成熟し、洗練され、その力は細っているようにみえる。ユニクロ、H&M、ZARAなどの台頭に代表されるファッションの均質化、平板化の波に流されず、特異点として踏みとどまる新しいデザインは可能なのか。夜、寝る前になんとなく本展のカタログをめくり、高揚し、寝つけない夜が頻発。
posted by Ken-U at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

味スタ、無風

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5月9日(土) 五月晴れ

天気もよいし、陽に当たりながらビール、読書もいいなあと思い、味スタを目指した。

試合は無風。たしかに選手間の距離も改善され、パスも回るようになってはいたけれども、その先がなかなか。というか、平山がセンターに入っても期待薄だし、やや下がり目の位置でなにかと忙しそうな赤嶺がゴール前になかなか近づけないとなると、あとは石川の個人技に頼るしかないのだけれど、彼もそうしょっちゅう決めまくるほどの選手ではない。じゃあ誰がこの均衡を破ってくれるのだろう、と考えているうちに、終了。

結局、なにも起きなかった。羽生、梶山のポジションの修正はできたけれど、今度は、赤嶺の負担が大きすぎるのではないかと思う。なんかこう、全般的に低いんだよなあ、彼の位置が。プレーエリアが広がり、彼の周囲でボールが回りやすくはなっているけれど、一方、ゴール前が手薄になってしまっている。ボール回しを縦に切り裂き、ゴール前に迫る動き、相手を危機に陥れるためのアクションが決定的に不足していると感じる。決して内容は悪くないのだから、あと一捻り、意外性のあるアクセントがほしい。

この日、新しいふた付きタンブラーを購入した。が、座席のホルダーにうまく入らず。入り口のところにぐいっとやってどうにかしのいだのだけれど、それってどうなのだろう。で、本も自宅に忘れ、試合前は五月晴れの空を眺めながら、ぼんやりした。自分の将来のこと、死んだ歌手のことなどに想いをめぐらせたりして。
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2009年05月08日

CL SEMI-FINALS 天国と地獄

UEFA CHAMPIONS LEAGUE - Semi-finals, 2nd leg

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チェルシー vs バルセロナ

まさに天国と地獄。えらいことになった。未明、まだ暗い部屋の中で独り吠え、それだけではすまず興奮したまま眠れずに、ばたばたと出社。

イニエスタ、よくあそこで決めたと思う。後半ロスタイム、あとはおまかせしましたとばかりにスーッとメッシからバックパスがきて、足元。それをペナルティ・エリアやや外側からダイレクトで蹴り上げるのだから彼はすごい。決めれば天国、外せば地獄。運命を分ける瞬間である。脚が縮こまったり、逆に力んだりもせずに、あそこですっと蹴ることができるなんてどう考えてもやっぱりすごいのだけれども、それはきっと彼の日頃の努力の賜物なのだろう。

で、歓喜の絶頂の中、グアルディオラがもう阿呆のようにピッチサイドを駆け回っていて、その光景にも痺れた。今季、彼はよくチームを立て直した。とくに、イニエスタ、チャビ、メッシ、プジョル、ピケ、バルデス、ブスケツなど、カンテラ育ちの選手たちをよくつかって、バルサをバルサらしいバルサに再組織しながら、かつ就任1年目とは思えない最上級の結果を得ようとしているのである。

結果、グアウディオラによる再建の、あたかもその集大成の如き試合となった。とくに後半の後半、アビダル退場のあと、その穴をとくに埋めるでもなくチェルシーのベタ引きを見透かすようにバルサは前へ前へ、そしてその士気を煽るが如くピケが縦横に駆け、チャビがつくり、イニエスタが仕掛けて、そしてメッシがさあどうぞとやりまたイニエスタが出てきてズドンと絶妙なタッチのシュートで仕上げるのだ。私はその光景に興奮した。そして絶叫した。

ファイナル。バルセロナは両サイドバックのレギュラーがいないが、左はシウビーニョ、右はプジョルと予想。ベテランの渋みで両サイドをぎゅっと締めてほしい。

***

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アーセナル vs M.ユナイテッド

試合開始早々、ホームのアーセナルがこれからってところで出鼻をくじかれて、落胆。でも、くじいたのがあのパク・チソンとなると、だったらそれもありなのかもしれない、と不思議とゆるせてしまう。彼はアジア最高レベルの選手である。それでいて献身的で、無尽蔵なスタミナ、俊敏さをいかんなく発揮して常日頃はユナイテッドのスター選手を脇から支えているのである。だから、たまには晴れの舞台のゴールもいいんじゃないかなあと思うのだ。だって、亜細亜人が欧州の組織の中で仕事するってたいへんなことだと思うのだもの。あと、ロナウドのFKもスーパーだった。いいなあいつは、飛び道具があって。

*****

ファイナルは今季最高の組み合わせ。勝負はどちらでもよい。ガチで、火の玉のようなサッカーを繰り広げてほしい。
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2009年05月05日

「チェンジリング」 絶望の中、微かに残された希望

クリント・イーストウッド監督 『チェンジリング』 (渋東シネタワー)

原題: 『CHANGELING』

警察の知らせを受け取ると、女は安堵した。行方不明だったひとり息子が無事保護されたというのだ。が、再会の日、彼女は愕然とする。眼前に現れた少年は彼女の息子ではない。見知らぬ赤の他人だったのだ。女は狼狽し警察に訴えるが、男たちはそれを棄却する。

changeling01.jpg1920年代のLAの景色を借りながら、この世の在り様が凝縮されて描かれている。残酷な世界。この世は残虐な者、冷酷な者たちで溢れかえっている。我々が引き起こす暴力の渦はあらゆるものを引き裂きながら膨張を続け、いまでは我々自身の意識をも混乱に陥れている。光と闇が複雑に交差するこの世界の中では、善人、悪人の区別でさえ判然としない。

例えば、作中で最も悪い人間であるはずの無差別殺人犯‐おそらく彼は多くの少年たちを殺害している‐ですら、どこか被害者の如くみえてしまう。法廷で、あるいは執行台の上で曝け出される彼の無様な姿の中に、かつて彼が負ったであろう心の傷跡が垣間見えてしまうのだ。その執行台で、彼は正義の名のもとに殺されなければならないのだが、しかしその殺人の様子から正義、善を見出すことは難しい。つまり、人殺しは人殺しに過ぎないのだ。しかし正義の名のもとに遂行される暴力、殺人行為はやはり善と呼ぶべきなのだろうか。

又、最も善き人間であるはずの牧師‐彼は警察と戦うために女を援護する‐にしても、最後、悪人たちが裁かれるとき、つまり彼自身の正義が果たされるときに、悪人と同様の言葉を女に吐く。彼女に対して、もう息子のことは諦めろと諭すのだ。ここで彼の正義と女の心の間にすれ違いが生じる。この時、彼女は彼の助言を受け入れようとはせずに、独りで自身の人生を歩む道を選ぶ。何故なら、彼女は正義のために行動したのではなく、彼女のたったひとりの家族、かけがえのない息子を取り戻そうとしたに過ぎないからだ。おそらく、その死の証拠がみつからない限り、彼女は息子がどこかで生きていることを信じ、いつまでも彼を探し続けるだろう。

その息子は彼女にとって未来そのものであり、希望なのだ。絶望的にみえるこの暴力の世界においても、その希望は微かに残されている。それは諦めない限りどこかに存在し続けている。希望とは意思であり、その意志により未来はつくられるのだ。
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2009年05月04日

「犬の記憶」 揺れる自我、複写を超えて生きる

森山大道著 『犬の記憶』 (河出文庫)

その半生と、写真について。

memories_of_dog.jpg本書も、旅の途中で読むつもりで購入した。「犬の記憶」と「僕の写真記」、ふたつのパートで構成される。

「犬の記憶」の序盤は森山大道の生い立ちに関する文章で、大作家が抱える私的背景を興味深く読んだ。彼は、双子の弟として生まれ、しかし兄がすぐに亡くなってしまったため自身を死んだ兄のコピィ、さらには森山家のリコピィと捉えてその後の人生を歩む。さらに、親の仕事の都合、あるいは自身の健康の問題から家を転々としたり、親元を離れて暮らしたりと安定とは無縁の環境の中で子供時代を送る。こうした境遇はとくに自我が揺れる思春期に大きな影響を与え、彼は野良犬の如く夜の街を徘徊するようになる。その後、放蕩する犬が如何にして写真家に成り上がったか、が後半部分の「僕の写真記」で振り返られている。

中盤の写真論には冗長なところがあって少しだれたけれど、序盤と後半部分は面白く読むことができた。思いつきで写真の世界に飛び込み、その後とんとん拍子に階段を駆け上がっていく森山大道の姿には何故か我が事のようにわくわくさせられた。たぶん、時代もよかったのだろう。でももちろんそれだけではないのだ。深い想い入れと情熱、それと善き人々との繋がりが運命の網をかたちづくり、彼の存在をマエストロの段階にまで引き上げていったのだろう。成功する人は皆そうしたネットワークを持っているんだよなあ、なんて思っているうちにまた着陸態勢、シートベルトをぎゅっと締めるとみるみる高度が下がっていく。
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「正直じゃいけん」 愛の炸裂、自己と他者の溶解

町田康著 『正直じゃいけん』 (ハルキ文庫)

ルール:負けたものが勝者になる

s_jaiken.jpg初春、旅のともにと思い購入した。このエッセイ集には、これまで読んだ町田康のほかのエッセイと同じように、彼自身の日常、あるいは周囲で起きる諸々の出来事に対する彼の態度、思考、妄想などが面白おかしく綴られている。飛行機の中で、序盤からうくくと笑いを噛み殺したりと楽しみながら読み進めた。

しかし、ゆるゆると読み流すことができなかったのが「愛の炸裂」の部分。ここには、町田康が想いを入れる他の作家やその著作に寄せた文章が収められている。とくに、中島らもに関する文章には町田康の強い想い、深い愛が溢れていて、よく知りもしない中島らものことや彼と町田康の関係などについて空想したり、ふと気づくとそれとはまったく関係のない人生のいろいろ、この世の成り立ちについて妄想を膨らませたりと時空を超えた。

他者について語ることは自己を語ることに等しいと思う。とくに、想い入れの強い人、物事について語るときにその傾向は顕著となる。愛の炸裂の中で、内部と外部の境界が溶け、両者があやふやに混じり合ってしまうのだろう。これ以降、他人やいろいろな物事に対してどれだけ深く想い入れができるだろう、愛は炸裂するのだろうか、などと想いを巡らせてるうちに、降下、着陸。
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2009年05月03日

味スタ GWはゲストとともに

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5月2日(土) 五月晴れ

この日はゲストを招いての観戦となった。そのゲストとは、約1年半振りに味スタに足を運ぶWさんと、去年、一緒に高尾に登った彼女の友人カップルの計三名。飛田給駅の改札前で合流し、スタジアムを目指した。

まず、待ち合わせでキャラを発揮したのはBさんである。改札前に現れた彼は、ジャケットをびしっと着こなし、その下には真っ赤なシャツとストライプのネクタイ、それにサングラスという出で立ちであった。背も高く、アフリカ系であるという特徴も手伝って、それはもう目立つ目立つ。僕とWさんはうけにうけた。

で、試合の方は、スタメンの入れ替えが功を奏したのか、あるいは前節の惨敗から選手たちがなにかしら学んだのか、東京が試合開始早々から攻撃的な姿勢をみせ、先行し、すがる大宮をどうにか振り切って、ぎりぎりな感じで勝利を得た。まずは梶山のポジションを下げ、羽生を上げるというあたりまえの修正をほどこしたのがよかったと思う。羽生は前線でよいアクセントになり、梶山も米本と分担しながら攻撃の起点となりえていた。が、この試合、結局のところは石川の個人技のおかげで勝てたのだと思う。とくに前半、あれだけ多くのチャンスをつくりながら決めることができないのだからなあ...3−0で試合を折り返すことは充分に可能だったし、そうなっていたらもっと楽に勝つことができたに違いない。

とはいえ、ゲストの前で勝つことができたし、彼らもそれなりに楽しんでくれたようでなによりだった。とくにWさんは、これまで10回以上味スタに足を運んでいながらこれが初勝利。彼女にとってもGWのよい記念となっただろう。その後、明大前で米国勢のふたりと別れ、国内組みは酒。気づくと深夜三時と深酒になり、タクシーで下北、それから上機嫌、鼻歌まじりに徒歩にて帰宅。夜風が心地よかった。
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CL SEMI-FINALS

UEFA CHAMPIONS LEAGUE - Semi-finals, 1st leg

M.ユナイテッド vs アーセナル

m_united09042904.jpg試合開始早々からユナイテッドが猛攻を仕掛けてきて、わちゃっ、あの強いユナイテッドが帰ってきた、と兢々とした。しかも、その攻撃陣の最前線では、優雅な振舞いをみせるベルバトフではなく、飢えた野獣の如きテベスがその獰猛さを剥き出しにしていたのである。恐かった。ライヴでみていて、眠気がぱっと醒めた。

一方、劣勢のアーセナルはパスを回すどころではなく、ユナイテッドの波状攻撃をあたふたと弾き返すばかりだった。とにかくユナイテッドの圧力が強くて繋ごうにも繋げず、まずは前方めがけてぽんぽん蹴るしかなかったのである。とくにディアビがチームにフィットしきれておらず、そこでボールロストを繰り返していたように思う。その度ごとに焦れながら、ここにアルシャヴィンの走力が加わればなあ、などと空想した。

連戦の疲れからか、アーセナルの動きが重くみえた。とはいえ、1失点に抑えることができたのはよかったと思う。次の逆転劇に期待したい。

***

バルセロナ vs チェルシー

現在、この世で最強であろうバルセロナを前に、チェルシーはベタ引きで守り通した。この試合の舞台がカンプノウであることを考えても、彼らにはもうこれしかなかったのだろう。策士ヒディングが熟考の末に導き出した戦術を、チェルシーの選手たちは見事に具現化した。

バルサの猛攻にはらはらはしたけれども、歓喜の時は封印されたまま全ては次節に持ち越された。さて、次はどうなるのだろう。でもまた守るのだろうなあ。PK戦でもよし、とヒディングは割り切っているのではないか。次節、アウェイの地で、バルサにはヒディングの策を木っ端微塵に粉砕してもらいたい。
posted by Ken-U at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(欧州) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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