(東京オペラシティアートギャラリー)
ここでいう「6」とは、アントワープ出身のデザイナー、ダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ヴァン・サーヌ、マリナ・イーの6人を指す。「+」はマルタン・マルジェラと、その後にデビューを果たしたアントワープの次世代デザイナーたち。彼ら王立美術アカデミー出身のデザイナーたちを中心に、当時の作品、ショー映像、イメージフォト、メディア記事などを通して、アントワープ・デザインが当時のモード界に与えた衝撃、その後の軌跡が顧みられている。

この回顧展でそのショー映像を観ることはできなかったけれど、かわりにマルタン・マルジェラのショー、パリ郊外にある貧民区のガレージで行われた彼のパリ・デビューコレクションの映像を観ることができた。そこでは、現地に住むアフリカ系の子供たちがはしゃぎまわる中、服のような、あるいは服ではないような得体の知れない生地を身にまとったモデルたちが闊歩していた。また、この映像の脇には当時の取材記事(Details, March 1990)の引用が据えられていて、その文章を読み当時のことを思い出してさらに熱くなった。
『今から考えれば、場所の選択―移民の住む荒れ果てたパリのゲットー―と脱構築主義者であるマルジェラのデザインにおける衝撃は、東欧の政治的、社会的秩序の崩壊と共鳴しているかのようだった。10月のあの夜、崩れかけた壁に腰をかけていたショーの目撃者たちは、11月に崩壊する「壁」の上で踊る歓喜に満ちたベルリン市民を不気味にも先取りしていたといえよう』(カタログp.120)
90年代初頭に湧き起こったアントワープ・ファッションの衝撃。その影響は計り知れず、いま振り返ると、これら「6+」のデザイナーたちが生み出すグルーヴが、僕の人生の一部を狂わせたということもできる。ただ、ラフ・シモンズが企業と契約して素顔をさらしたり、マルジェラが第一線から事実上退いたことからもわかるように、いまやアントワープ・ファッションは成熟し、洗練され、その力は細っているようにみえる。ユニクロ、H&M、ZARAなどの台頭に代表されるファッションの均質化、平板化の波に流されず、特異点として踏みとどまる新しいデザインは可能なのか。夜、寝る前になんとなく本展のカタログをめくり、高揚し、寝つけない夜が頻発。