阿修羅がまとうジュエリーに着目し、時空を超えて、シルクロードを巡る。

太陽神である阿修羅の起源ペルシャ(過去記事)、あるいは中央アジアを源として、その東西に伸びる経路を辿りジュエリーは往来した。西方からみると、東方は富が湧き出すきらきらしい異界であり、彼らはその輝きに魅了され、狂い、欲望のままその支配に乗り出そうとする。「支配とは、魅了されること」(p.216)という鶴岡さんの言葉は女性ならではの視点から発せられているのだと思うけれど、言われてみると、なるほどその通りだと素直に納得できる。
また、本書は、ジュエリーに限らず阿修羅の装飾の魅力を教えてくれる。読み進めていると、彼(?)が身につけるほかのアイテムもたいへん興味深く思えてくるのだ。とくに、条帛のドレープづかいや、裙にほどこされたオリエンタルな花文様などは見事に今秋のトレンドと重なっていて驚かされるのだけれど、その花文様を「地上の星」と見立て、それは「天上の花」である星(きらきらしいジュエリー)と呼応しあい、生命の光を絶やさぬようきらきらと輝き続けるのだという指摘には魅了された。
プリミティブに向かおうとするモードの流れと阿修羅像の人気の間には、人間の無意識を背景として、なにかしら摩訶不思議な繋がりがあるように思える。実際、私が見た阿修羅像は、最新のコスチュームに身を包み、スポットライトを浴びて、大勢の人たちに取り囲まれ、あたかもロックスターの如くであった。あれほど多くの人々が阿修羅像に魅了され、あるいは、阿修羅のようなコスチュームを身にまといたいと欲望するのはいったいなぜなのだろう。私たちは、そこで何を発見し、見直そうとしているのだろうか。