2009年10月18日

「ゴーギャン展」 内なる野生、楽園と孤独、死

『ゴーギャン展』 (東京国立近代美術館)

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

gauguin.jpg彼のアマチュア時代から最晩年期に至るまでの作品群をほぼ時系列に眺めた。そしてその作品群の流れとともに、株式仲買人として裕福な生活を送っていた彼が、株式相場の大暴落をきっかけに画家となり、やがて近代に背を向け南を目指し、孤島に漂着して、その地で果てるまでの半生をおおまかに追うことができた。

強く印象に残った色彩は朱と緑のコントラスト。この二色の組み合わせから思い出したのは阿修羅像(過去記事)で、古代的といえばいいのだろうか、この色合いの意味について想いを巡らせてみたり。また、近代社会に対する嫌悪から未開の地をある種の楽園と見立てていた彼が、彼の地とキリスト教の寓話を重ねて描くことの意味、あるいは限界のことなどを思った。

たしかに、人間は野蛮な生き物だと思う。日々の暮らしの中でもそれを痛感する。たとえば孕ませた女を置き去りにし、そのまま棄てるのも人間の抱える野蛮の一部なのかもしれないけれど、そうした男のエゴと、近代帝国主義と、生と死と、世俗まみれの情事から高次の思想に至るまで、その混沌を原動力に情熱と失意の反復の中を生きたのがゴーギャンだったのかもしれない。いったい彼はなにを思いながら絵筆をとり、死んでいったのだろう。南の楽園で最期を迎えた彼は、幸福だったのか、あるいは不幸だったのだろうか。彼が見出せなかったなにかを、我々はみつけることができるのだろうか。


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味スタ 明と暗

fc_tokyo09101701.jpg

10月17日(土) 曇り

約1ヵ月半ぶりの味スタは13時キックオフ。土曜にしては早起きして下北でラーメンを大盛。その後、京王に乗りスタジアムを目指した。

前半は柏の守備が目立った。とくに、梶山と平山の縦のラインを潰そうとする意図がはっきりとみえ、たしかに、サイドで裏に抜けるカボレの脅威がない今となっては、まずこのラインを寸断し、あとは石川のケアができれば多少ボールを回されても恐くはないと思われてしまうのだろう、と納得。実際、柏の意図は嵌っていて、東京は決定的な局面をつくれないまま前半ロスタイムを迎えなければならなかった。

が、東京はそのロスタイムに均衡を破る。梶山の縦のボールを受けた羽生が見事なターンをみせ、赤嶺に絶妙なラストパスを供給したのだ。もちろん、赤嶺はこのチャンスを逃さなかった。この一連のプレーはゲームの転換点となったけれど、柏が布く守備網を突破したのが羽生であったことは合理的だと思えるし、それをハーフタイム以前に成しえた点に今の東京のたくましさを感じた。

羽生はこの大勝を見事に演出した。それはとても喜ばしいことなのだけれど、しかし残念なのは石川の怪我。彼はとどめに駄目を押す4点目を決める際に柏DFと接触、それでバランスを崩して着地に失敗、左膝を捻り痛めてしまったのだ。歓喜の後、動けない石川の姿にスタジアムは騒然となった。

大きな犠牲を伴なう大勝だった。悦びと哀しみが交差する複雑な思いがした。しかしサッカーは続くのである。今季、東京は逞しく成長した。以前より逆境に強くなったと思う。これも城福監督の粘り強い指導があってこそだと思うけれど、今後、もし石川が不在になるとしても、さらなる逞しさを発揮してその苦難を乗り越え、質の高いよいサッカーをみせてほしい。

石川選手の一日も早い復帰を祈る。
posted by Ken-U at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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