2010年02月27日

「純粋な自然の贈与」 無から有へ、溢れ出る精霊たち

中沢新一著 『純粋な自然の贈与』 (講談社学術文庫)

無から有へ。自然界から人間界へ。流れるもの。富、贈与。

don_pur_de_la_nature.jpg富を、自然界から人間界への贈与であると考え、捕鯨、神道、農業、冬の祭り、あるいは音楽やゴダールによるバスケットボールの描写などの様々な領域を横断しながら、自然界から富を引き出すときに揺れる人間の心、その流動性と精霊、あるいは資本主義との関わりなどについて、縦横に、自在に言葉が編まれている。

その言葉の連なりは、のちの『カイエソバージュ』(過去記事)に受け継がれ、そして芸術人類学、あるいはくくのち学舎の一連の講座へと繋がっていったのだろう。そして感じたのは、人間の創造性と贈与、あるいは豊かさと悦びが心の深いレベルで互いに繋がり合っているということ。きっと、幸福は人間による悦びの創出、つまり創造の行為にかかっているのだろう。真の創造は悦びを生み、そして暮らしの中に豊かな富をもたらすのだ。

しかし創造的な仕事のための領域は、今、どれほど残されているだろう。自然界と人間界の狭間で仕事をする職人たちの歴史(過去記事)を紐解くまでもなく、自分がこれまで経験してきた職場環境の変化だけを考えても、創造的な仕事を成り立たせるための領域は間違いなく狭まりつづけている。

この世に生み出される富は限られている。そしてその希少な富を奪い合うのがビジネスなのだと思う。つまり、我々はすでに生み出された富を机上にのせ、我が取り分を明確にするために、その富の上に仕切り線を引こうと躍起になって右往左往しているにすぎないのだ。その有様はある種の戦争のようにもみえる。だから上層部は、ビジネスと戦争をしばしば重ねて語るのだけれども、しかしよりよい暮らしのためには、その文脈から外れ、悦びのための、新たな富を生み出すための仕事について考え、実践する必要がある。そうした新しい仕事との関わりについて、今後、試行錯誤を繰り返していきたい。
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2010年02月22日

CL Round of 16, 1st leg

UEFA CHAMPIONS LEAGUE - Round of 16, 1st leg

ACミラン vs M.ユナイテッド

m_united10021605.jpg恐るべしユナイテッド。恐るべしルーニー。ルーニーの素晴らしさは、いとも簡単にゴールを決めてしまうあの卓越したシュート力にあると思うのだけれど、とくに彼の場合、例えばメッシのスピードやズラタンの高さのようなわかり易い特徴がないにもかかわらず、何食わぬ顔をしてそれをやってのけるのがつくづく凄いと思う。そのふてぶてしさにさらなる凄みを感じてしまうのだ。彼にはすべてがある。

あと、ロナウジーニョは復調しつつあるようにみえたけれど、きっとあれはW杯に向けたウォームアップなのだろう。これはブラジル選手によくある調整方法である。というか、よくあった調整法といった方がいいのかもしれない。はたして彼は間に合うのだろうか。

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リヨン vs R.マドリー

後半早々にマクンが超絶ミドルを決め、そのままリヨンが勝利を手にした。マドリー、怖さがない。とくにカカの不調が目立った。ペジェグリーノ、ビジャレアルに戻ればいいのに。しかしまあ、それは無理なのだろう。

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ポルト vs アーセナル

旅先のDVDプレーヤーにて。

不運のアーセナル。というか、ファビアンスキのあれは辛い。しかも、二度も。キャンベルも出て良かったのか悪かったのか。本当は、あそこから同点に追いつくくらいの逞しさが欲しいところなのだけれど、今のアーセナルには無理なのだろう。終盤、俯きがちなセスクをみながらそう思った。しかし、劇的なセカンドレグに期待したい。

***

シュトゥットガルト vs バルセロナ

湯豆腐をつくったり、食べたり、お土産に買ってきた明太子も食べながらみていたので、というか、みるようなみないような感じだったので、バルセロナの出来がいまひとつで、危なかったけれどズラタンの久しぶりの一撃で分けた。ということだけが分っている。
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2010年02月20日

旅の記録 面接+

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2月18日(木) 雪のち曇り、ときどき晴れ

朝、ベッドを出て、カーテンを開けると雪。まだ降り続いている。カーリングを横目でみながら洗顔、荷造り、着替え。足元はスニーカーにして、品川へと向かう。

新幹線は15分ほど遅れて出発。途中、スピードを上げたのだろう、現地には5分ほどの遅れで到着した。天気も回復。で、駅を出て昼食の場所を探すもよくわからず、そのまま駅に隣接したデパートの上でカツを食す。どこか貧しさを感じる。

食後、少しぶらついて指定されたホテルのロビーで落ち合い、そのままラウンジへ。眼前には候補者、その隣に派遣会社の営業が座る。面接は半時間ほど。続いて二人目、同じく半時間。その後、営業と簡単な確認。おそらく最初の候補者でいくであろうことを伝える。二人目は自信がなさそうだったし、難しいと思う。

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営業と別れ、半時間ほど電車に揺られて移動。新規オープンする取引先の店舗をみにいく。駅を出て、10分ほど歩くと現地。ウィンドウの中はまだ養生に覆われているけれど、外観、ロケーションともに素晴らしい。あとはスタッフと数字だけだなあなんて思いながら駅周辺まで戻り、徘徊。中華街にて、豚ばら肉の如きをトロトロにして甘辛きタレを塗りつけ、饅頭の皮の如き白いフワフワではさんだものを食す。激しく熱い。が、うまい。がしかし、胃拡張気味の腹には足りず。

電車で戻り、地下鉄に乗り換え、ホテル近くの繁華街へ。簡単にリサーチをして、ホテルに向かおうとするが、着信あり。コールバックすると、先ほどの営業からで、あの第一候補が正社員の内定を受けたとかで辞退したいとこのこと。もちろん、それは彼女の勝手である。嘘か本当かはわからないけれど、もし正社員雇用の話があるのなら、それがいいに決まっているし。とはいえ、少し落胆。油断していたのだ。なにか、自分自身が否定されているような気がしてきた。気持ちを切り替えなければ。明日、さらにもうひとり紹介してくれるというのでそれを了承し、歩く。チェックイン。すぐに外出。半時間ほど徘徊し、ビオワインを揃えているというバールにて夕食をとることに決める。スパークリング、赤、赤と飲み、ポテトとベーコンのホクホクのやつ、鴨のコンフィを食す。さらに、胃拡張気味なので、ラーメン屋でラーメンと小ライスでとどめ。満腹。部屋に戻り、持参したDVDを再生、録画しておいたポルト対アーセナルをみながらウトウト。夜はふけゆく。

*****

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2月19日(金) 晴れときどき曇り

遅めの起床。カーリングを眺めながら仕度。チェックアウト。無料サービスの朝食をとる。で、徒歩にて地下鉄ひと駅ぶんを移動。リサーチ。徒歩にて戻り、食事処を探索。朝食からわずか一時間半後、早めの昼食は天丼と饂飩のセット。ボリュームあり。

地下鉄にて移動。昨日と同じホテルのロビーへ。落ち合い、ラウンジ。面接はやはり半時間ほど。隠し玉なのだろうか、急遽の紹介のわりにはよい人材であった。たぶん、この人にお願いすることになるだろう。

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徒歩にて移動。某派遣会社のオフィスへ。応接室的な部屋で挨拶し、早速ひとり目の面接。少し間をおき、二人目。この二人目の彼女は、経験は足りないのだけれど、気持ちが強く、情熱があり、ポテンシャルは感じる。機会があれば一緒に仕事をしたいタイプなのだけれど、枠はひとつ。つまり、辞退した一人を除くと、二日間で面接した四人のうち三人には断りをいれなければならないのだ。悩ましいところである。

駅まで徒歩。移動。

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途中下車。交渉中の取引先の店舗を覗く。と、マネージャーとばったり。動揺を隠し、挨拶。商況などについて軽く。もしよろしければミラノでもまた。

すぐに乗車。ビールを一缶。ささやかな打ち上げ。帰京。そのままいつもの店に向かい、三人で飲む。深夜二時過ぎまで。一人が不倫地獄から抜け出しつつあるせいか、トークも暖かい感じで盛り上がった。味噌ソムリエという新たなジャンルを提案した。で、帰りはタクシー。で、聞くと、東京オリンピック前から運転手をしている超ベテランだという。しかも、四半世紀以上にわたり、無事故、無違反だというのだ。滑らかなハンドル捌き。驚愕のプロフェッショナリズム。でも、もうタクシードライバーに景気はわからないですよ、と言われた。道路にトラックがいっぱい走ってたら好景気です、と。なるほど。
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2010年02月14日

突然の帰郷

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2月8日(月) 曇り時々雨

妹の死の知らせを聞いたのは、たしか、朝の七時頃だったと思う。

いったん出社。上層部に事情を話し、一時間ほど仕事をして、この日から忌引き扱いで帰宅をする。で、PCにてフライト予約。荷造り。近くで昼食をとり、携帯から一件のみ業務連絡をして、羽田へ。

着陸。トイレをすませ、ネクタイを締め、荷物を受けとって、伯父に連絡をとる。通夜が翌日になることを聞き、ネクタイをほどきながらバス乗り場へ。移動。すぐに雨が降り出し、車の窓を濡らす。

車窓から雨が上がっていることを確認して、降車。そこから徒歩にて斎場まで。すでに日は落ちており、周囲は暗い。車の往来も寂しく感じられる。また携帯を取り出し、歩きながら、金曜の面接をキャンセルするかもしれない、とエージェントに伝える。あちらは困惑の様子。

到着。部屋の扉を開ける。当然のことながら、大方の親族はすでに座敷に腰を下ろしており、誰かに促され、横たわっている妹と対面。眠っているようにみえる。焼香。その後、トイレに入り、そこに居合わせた伯父に死因を訊く。部屋に戻り、座敷に上がり込んで、久しぶりに顔を合わす面々と挨拶を交わす。約二十年ぶりになる従姉も入ってくる。微笑。言葉を交わしてしていると、和尚の来場。読経。泣いたり、泣かなかったり。

深夜、座敷の脇で母が眠り、弟と言葉を交わしながら朝まで。にぎり飯を食いながら、線香の煙を気にしながら。

*****

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2月9日(火) 曇り時々雨

朝、窓から駐車場を見下ろすと、雨が上がっている。しばらくして祭壇の模様替えが始まり、湯灌。約二時間ほどをかけて、妹の身体を清める。心なしか、表情がより穏やかにみえる。お気に入りだったという和服を着せ、化粧もほどこしてもらう。そして納棺。終始手際がよく、感謝の気持ちがこみ上げてきて、最後、深々と頭を下げる。

留守番の後、買ってきてくれた弁当を掻き込む。死因について、諸々から聞いた情報を元に、母と話す。いわゆる突然死だったのだ。だから明確な死因がない。それがいろいろな詮索を誘発して、母の心を乱していた。自死だとか、仕舞いには先週死んだ叔父が連れていったとか。そんなことは、もういい。

通夜。事前の説明を聞き、和尚の来場。読経。泣いたり、泣かなかったり。その後、親族と昔話など。笑いもあり。従姉は旦那と来場していた。読経後は終始にぎやかで、涙あり、笑いありで、逞しい親族に救われる思い。

途中、傘を持って退席すると雨が上がっている。で、そのまま叔父の家に向かい、焼香。先週、その伯父が亡くなっていたのだが、葬儀にも出られず、でもこうして遺影を前に手を合わせることができて、少し安堵。ひとしきり会話をして礼をいい、斎場へと戻る。部屋はすでに閑散としていた。着替えて、弟と話しながら夜を過ごす。リスボン旅行のこととか、話した。

*****

2月10日(水) 雨時々曇り

早朝、物音で目が醒める。いつのまにか眠っていたようだ。みると、母が片付け、洗い物などうろうろとしている。寝ているように言っても、落ち着かないのだろう、おろおろとするばかりで少しいらつく。少しして、着替え。

出棺。このとき遺影を抱えて歩いたのだけれど、今回、これが一番つらかった。妹はたしかに死んだのだ、という重い現実をここで最後に思い知らされたように思う。

火葬。待合室に入りしばらくは喋れず。しかし、少しして、従姉、叔母、母と話しているうちに心ほぐれる。また笑った。うれしかったのは、従姉が、すっかり忘れていた幼少時のエピソードを披露してくれたことで、そんなことまで憶えててくれたのか、と思わず顔がほころぶ。

寺へ移動。葬儀。気分はすでに落ち着いている。その後、皆で弁当。やはり賑やかである。祖父のときに、お骨を忘れて帰ろうとしたことなどを思い出して、皆で笑った。そして食べながら、去年に亡くなった別の叔父と諸々のご先祖のために、墓を参ろうと話す。

玄関に戻ると雨。みな嘆いている。しかしここで、ああ墓参りしようと思ったのに、と言った途端、雨が上がる。みな驚きの声。で、今のうちにと花を取り、小走りに墓へ向かい、花を沿え、線香をあげて、合掌。ここで小さな奇跡を感じた。

その後、自宅に戻り、仏壇のまわりに妹の骨壷、遺影、花などを据える。そのうち従兄弟も集まり、叔母もリハビリのあとに駈け付けてくれて、食事会。久しぶりに顔をあわせることもあって、これが大騒ぎ。賑やかに過ごすことができ、救われる思い。そして切れかけていた縁が、ここで修復されたのだ。

*****

2月11日(木) 雨時々曇り

昼、従姉が旦那と娘を連れて挨拶に来てくれる。その後、弟と伯父(長男)のところへ。礼をいい、お茶をご馳走になって、犬と戯る。それからスーパーで食料を買い込み、帰宅。簡単に夕食をすませる。この日からTVも点ける。で、会話は深夜まで続き、就寝。

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2月12日(金) 曇り時々雨

昼前に起床。昼食後、弟が先に戻る。見送り、母と仏具屋へ。それからスーパー、デパートとまわり、帰宅。夕食。会話は朝方近くまで、そして就寝。

*****

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2月13日(土) 雨のち曇り

昼に起床。朝方の雨が上がっている。すぐに荷造り、昼食。風が強い。小さな縁側にはバケツに花束が活けてあり、それにすだれがぶつかってこんこん音を鳴らし続けている。通夜のときに、従姉が、この世に漂う霊が風になると話していたのを思い起こした。俺はもうすぐ帰るのだよ。そして母と言葉を交わし、挨拶をして、駅のバスセンターへと向かった。

バスの中では、ずっと雲を眺めていた。

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空港。少しの土産と、自分のために明太子、さつま揚げを買い込み、搭乗。

着陸。寒そう。雨も降っている。いよいよ降られるのか、と覚悟しながら移動。がしかし、駅に着き、地上に出ると雨が上がっている。帰宅。夕食は生メカジキのソテー、プチトマトのソースを添えて。

*****

突然のことでやはり動揺もしたのだけれど、逞しい親族に支えられたこともあって、どうにか無事に妹を送ることができた。それに、送るための諸々の儀式もよい経験となった。数日をかけながら、非日常的空間の中で、少しずつ死を死として受け入れていくことができたような気がする。もちろん、まだ完全に受け入れることはできていないけれど、これも時間が解決してくれるだろう。

死は引き裂くが、同時に繋ぐのである。ということを、妹の死を通じで体感することができた。私は、妹が遺してくれた、与えてくれたこの関係を大切に生きていきたい。それがなによりの供養になるのだと信じて。
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2010年02月07日

ふゆまつり

『くくのちふゆまつり』 (四谷ひろば講堂)

kukunochi.jpg現地に着いたのが午後三時過ぎ。ステージでは密やかに市が開かれ、その前ではエチオピアの記録映像が上映されていたと思う。

寒さをこらえながら会場をひと回りして、個人的にお会いしたかったwatarigarasu、気流舎のそれぞれと挨拶することができて、それだけでも収穫だった。watarigarasとの出会いは昨春の目黒川沿いで、桜を見にいった夜、彼の出店でワインを飲んで、その佇まいが印象的だったのでビラをもらい、その後も彼のウェブサイトをチェックしたりしながら、周囲に宣伝しながら、そしてこのふゆまつりに参加することが判明して驚き、不思議な縁を感じたのだ。気流舎は、ブログを初めて間もない頃に彼のブログを発見し、その頃はまだ店ができてなかったのだけれど、コメントをやりとりしたり、そして店ができて、でも店に入るきっかけがみつからず、そうしてふゆまつりで初対面できて、これも感慨深い。なんか、いろいろと繋がるものなのだなあ、と思う。

ほかにも、ソラノネ食堂のことを知ったり、米を買ったり、それになにより南山座の舞踏。踊りの中から映像の如きものが立ち上がり、なにか映画的というか、いや、どちらかというとやはり詩的というべきなのだろう、その技芸、踊りを堪能することができた。で、どさくさまぎれに参加した打ち上げでは、三上敏視さんのお話も聞けて、新聞の切り抜きも頂くことができて、以来、彼のブログをチェックしている。

つくづく、いろいろな動きがあるんだなあと思う。普段、それを知らないだけなのだ。気に留めないだけなのである。このふゆのまつり体験を、これからの豊かさに繋がるひとつのきっかけにできればと思う。
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『静かな叛乱 鴉と鯨の対話』 黒い機械と人間、その境界について

『レベッカ・ホルン展 − 静かな叛乱 鴉と鯨の対話』 (東京都現代美術館)

rebecca_horn.jpgこれといった予備知識もなく、『ラグジュアリー展』を観た流れでそのまま鑑賞したのだけれど、思いのほか楽しむことができた。

広い空間の中に、いくつかのインスタレーションが設えられている。色は、黒が目立つ。というか、黒ばかりだ。これは近代を象徴する色であり、同時に、死を意味する。そしてそれらの黒い装置にはそれぞれ機械が仕掛けてあり、その機械は規則的に、あるいは不意を打つように動いている。たとえば、天井から逆さに吊るされたグランドピアノが突如として動き出したり、細長いアームの先から塗料が噴き出し、自律的に壁面に絵のようなものを描いている。

このように、機械があたかも人間のように動いてみせるのだけれど、しかしその振る舞いそのものはあくまで無機的で、人間、というか生命体がみせる有機的な動きとはかけ離れている。あと、これはその後の映像作品でみたのだけれど、テーブルがよろよろ歩いたり、人が車椅子で移動したりと、人と機械の境界が曖昧にみえるショットが印象的なつかわれかたをしていて、おそらく、こうして機械が人間に見立てられたり、人間が機械に見立てられたりすることは、これらの作品群全体にとってなにか深い意味があるのだろう。

それで、その意味とは?なんて考えてみても、答えが明快に得られるわけじゃない。もしそれを理路整然とした言葉で言い表せるとしたら、なにもこうした複雑な仕掛けなど作る必要もないだろう。それよりも、オブジェクトの造形やそれぞれの配置のされ方、あるいは機械の精緻な動作など、意味を超えた領域で魅力を放つモノの存在そのものが大切なのだと感じた。
posted by Ken-U at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

ARSENAL+2

日数がたってしまっていることと、料理をしたり、食べたり、まじめに観戦せず、すっかり部屋のBGN(Back Ground Noise)として垂れ流してしまっていて、どの試合を観て、どれを観なかったのか、観たとしてどうだったか、すべてが虚ろ。

*****
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イングランド・プレミアリーグ 第24節

アーセナル vs M.ユナイテッド

酔っ払って帰宅し、睡魔に負け、で、眼が覚めると前半のなかほど。一度ベッドを出て冷たい水を飲み、戻り、観る。というか、聴く。先制され、追加されると、すでに薄れていた意識がさらに遠のいていくのがわかる。で、ハーフタイムに昏睡。

明けて月曜、パク・チソンのゴールを見逃したので録画をみようと思ったら、予約もれ。なので、リピートを録画して水曜の夜に見直そうと思う。たぶん、めかじきをソテーしながら。

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イングランド・プレミアリーグ 第23節

アストン・ヴィラ vs アーセナル

大事な試合だったのだが、痛恨のドロー。しかも、フェルマーレンが怪我を負ってしまった。そのうえ、ガラスも満身創痍。アーセナル、どうにか踏ん張ってほしいのだが、果たして大丈夫なのだろうか。

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イングランド・プレミアリーグ 第22節

ストーク vs リヴァプール

この週はなぜかリヴァプール。というか、いつのまにかストークに惹かれている自分がいる。彼らがぎりぎりで追いついたときに、よっしゃー、みたいになってしまった。たぶんスタイルが悪くても、きっと情熱でそれを補うことができるのだろう。

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イングランド・プレミアリーグ 第21節

アーセナル vs エバートン

ロシツキに救われたゲーム。彼はよいフットボーラーだと思う。

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イングランド・プレミアリーグ 第20節

ポーツマス vs アーセナル

アーセナルの楽勝。お祭り騒ぎ。チームの復調を感じる。

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リーガ・エスパニョーラ 第18節

バルセロナ vs セビリア

まあ、バルセロナなので、同じチームに連敗はしない。完勝。

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リーガ・エスパニョーラ 第16節

バルセロナ vs ビジャレアル

バルセロナが流れるような連係から先制するも、ビジャレアルが意地をみせた。残念なのは、ビジャレアルにかつての流れがないこと。早期の復活を祈る。
posted by Ken-U at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(欧州) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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