2010年04月25日

「われら猫の子」 砂の世界を生きる

星野智幸著 『われら猫の子』 (講談社文庫)

猫とは無関係の短編集。

hoshino_cat01.jpgしばらく前に読んだので、記憶が溶けてしまって内容がはっきりとは思い出せないのだけれど、話が進むにつれてあの世に近づく感があり、加速度的に読み進めた。

始めは、作中の会話が会話になっておらず、登場人物ふたりの間で交わされるべき言葉が交差せずに、そのまま並行にこちらに向かって投げかけられているようで、それが平坦に感じられ、あるいは長い説教、あるいは演説を聞かされているような気分になり、なかなか作品に入りこむことができなかった。でも、「チノ」あたりからになるだろう、舞台がこの世から離れていくにしたがって、幻想性が増し、その毒に酔うことができて、そこから作品世界に没入した。

私はカミの悲哀が理解できた。それは、書き手である私が常にさらされている恐怖だからだ。自分の滅亡と引き替えに書くことは始まるからだ。でも、作家になるということはその覚悟を決めることだ。いや、作家に限らない。継承を実践していくとはそういうことで、誰もが引き受けなければならない。(p.138)

私が壊れ、溶けてしまうことにより、悦びが湧きあがって、同時に跡を継ぐものが生まれる。引用部分に付箋を貼ったのは、当時、自己を滅することと、神と、結ばれと、ムスコ、ムスメのことなどを散漫に考えていたからだろう。


posted by Ken-U at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「陰翳礼讃」 闇の中、浮かび上がるもの

谷崎潤一郎著 『陰翳礼讃』 (中公文庫)

暗闇とともに生きる。

in_praise_of_shadows.jpg日本人の暮らしと暗闇について、谷崎自身の考えとともに、当時の日本の情景、背景などを感じとることができて、いろいろな発見があり、楽しく読み進めることができた。また、下ネタに始まり、下ネタで結ばれるところなども本書の魅力を高めていると思う。

暗闇とともに生きる。たしかに、幼い頃は、まだ暮らしのそばに暗闇が残っていた。例えばトイレに行くときに、薄暗い縁側を通り抜け、小さな電球の明かりの下で用を足さねばならず、だから居間を出る前に相当の覚悟が必要で、その時の葛藤がいまも思い出される。毎回、命懸けであった。実際、庭にうずくまっている野良猫の眼がきらりと光ったり、蜥蜴や小虫が不意に現れたり、それらを振り切って扉を開けたら、古びたトイレ(というか便所という方が実際に近い)の壁に大きなアシダカグモが張り付いて腰を抜かしそうになったり、恐ろしい出来事がいくつもあった。だから、さらに時代をさかのぼると、夜、暗闇はさらに支配的であったのだろうなあ、などと思いつつ、想像を膨らませながら本書を読み進めた。

伝統的な生地の染めについて、あの少しかすんだトーンは闇の中でこそ際立つのだと発見した。親しくしている若手デザイナーが、彼は90年代のアントワープ系に大きく影響されているのだけれど、一緒に呑んだときに、伝統的な染めの方法については否定的で、夜の闇は芯から暗いんですよ、黒ですよ、と力説していて、その時はなるほどそうかと思ったりもしたのだけれど、しかし黒の生地が際立つのは、現代社会から闇が排除されていているからで、闇とともに生きる時代にあっては、そうした黒の魅力は闇に飲み込まれて発揮されず、むしろ少しかすれた墨色、灰色などの方が闇から浮かび上がる感じがして、その色の奥行きが人々の心を惹きつけたとしても不思議はない。やはりいろいろな意味で、黒は近・現代の色なのだ。

谷崎によると、当時、夜行列車で東京から大阪まで、およそ12時間かかったという。かつての東京〜大阪は、今でいうと、東京〜パリ、ミラノに相当する。なんて発見もあった。
posted by Ken-U at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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