2010年07月18日

祭りの終わりに

worldcup2010.jpg

少し前のことになるけれど、ワールドカップが幕を閉じた。振り返ってみると、意外に欧州勢が踏ん張りをみせ、出だしのよかった南米勢が次々に惜敗し、期待のアフリカ勢が空回りして、意外性に富みながら落ち着くところに落ち着くいかにもワールドカップらしい大会となった。当初の僕の予想は、優勝がブラジル、次点がスペインで、だから賭博の配当はもらえず仕舞いだったのだけれど、しかし当てた奴がいないということで、そういえばあのカネ、どこに流れてしまったのだろう。オランダがああいう悪質な振る舞いさえしなければ、ブラジルが慢心しなければ、いまごろ掛け金の一部は僕の手元に入っていたに違いないのに。

で、フットボールそのものを振り返ると、スペイン、ウルグアイが素晴らしく、ドイツがえらい強くて、もう勝利はみえているのにそれでも容赦なく攻め立てたりして、あと、メキシコ、韓国、ガーナ、日本、パラグアイなどの活躍、それに加えてマラドーナのあの哀しげな表情が強く印象に残った。で、その一方、オランダが酷くて、彼らは手のひらを返してアンチ・フットボールでトロフィーを強奪しようとしたのだけれど、まあもともとオランダをあまり好まない僕としては、毎度毎度、オランダ負けろ、オランダ負けろと思いながら夜を過ごし、それで最後、スペインがオランダを破り、つまりフットボールがアンチ・フットボールを粉砕して、フットボール界に希望の光が残されたと感じ、夜明けごろだったか、部屋の闇の中で朝日が昇りかけているのを感じつつ、「よし!」と拳を握り締めた。

日本は、やはり本田が歴史をつくったのだと思う。これは'02年の鈴木に次ぐ二人目の快挙である。はじめの1点、これが相当に重く、それだけに価値があるのだ。その1点を先制点というかたちにした本田は流石というしかない。ロシア移籍前から注目していたので、今や、ヤツはオレが育てた、くらいに思っている。あと、岡田さんでいうと、僕は彼のサッカーをまったく評価していないのだけれど、身の丈を知りつつ、俊輔を外し、本田に賭け、川島、長谷部、松井など、適材適所でチームをまとめたところに彼の手腕を感じた。やはり、過去の経験が活かされたのだろう。海外勢の頼もしさといい、日本代表の活躍を眺めながら、経験はかけがえのない財産であることを再認識した次第。

そしてその後、嫌悪していたブブセラの音がないと寂しく感じる晩もひと段落。オシム氏がいうように、これですべてが終わったわけではない。これからもサッカーは続くのである。僕も、三大会連続でワールドカップ・イヤーに就職をして、新たな職場でプレーの幅を広げながら、この砂漠のようなマーケットの中で、それでも楽しげに、砂と戯れるように、いろいろ経験を積み増していければなあなんて思っている。
posted by Ken-U at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(欧州) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

味スタ 長友を送る

fctokyo_10071701.jpg

7月17日(土) 晴れ

W杯後のスタジアムには熱気があった。発表によると、この日の入場者数は25,781人だったらしいけれど、ムードとしてはそれ以上の熱を感じた。おそらく、W杯の熱がそのまま持ち込まれたのだろう。この日がスタジアム・デビュー、という人も多かったのではないだろうか。皆、ナマのサッカーを待ちわびていたのだ。

しかし、東京がフットボールをみせたのはゲーム開始からわずか18分間。序盤はスペイン代表の如きわくわくのプレーをみせていたのだけれど、2点リードしたあとはぐだぐだ。実際、後半には眠りそうになった。でも、結局ところ眠れなかったのはありえない逆転負けを喫したからで、あれはありえない。あってはいけない失態だと思った。しかも、平山、鈴木のあの姑息な時間稼ぎのあとだったからなおさら。僕はあのコーナーフラッグ近くでちまちまやる時間稼ぎが好きではない。東京は、東京が目指すスタイルでいうならば、もっと大きくボールを繋ぎながら時間をつかえばよいのだ。姑息なまねをした後のPK負けはほんとうに凹む。ほんと、後味が悪い。

fctokyo_10071702.jpg

で、試合後は長友の見送り。甘噛みの如きブーイングと、笑いと、涙と、そして拍手。手を叩きながら、彼の成功を祈った。
posted by Ken-U at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

8 CDs ...until July '10

cdx8_10Jul.JPG


LUCIANO / 『TRIBUTE TO HTE SUN』 (CADENZA)

新しい音の枠組みの中で響く古代的な音楽。その中で最も強く印象に残ったのは、拍手や手拍子などの手を叩く音。人は、なぜ手を叩くのだろう。なぜ、手を叩くと気持ちが盛り上がるのだろうか。そして手拍子、拍手に対する欲求はどこから湧き上がってくるのだろう。

*****

PANTHA DU PRINCE / 『BLACK NOISE』 (ROUGH TRADE)

Routh Trade、今でも現役なのだなあ。このアルバムをみつけてそう思った。で、手にとり、試聴して、レジへ...しかし、帰宅後に聴いた印象はいまひとつ薄い。聴き進めるほどに物足りなさを感じた。アンビエントのもう一歩先、を期待していたのだけれど、聴く側の意識に問題があるのだろうか、しばらく寝かせから聴き直してみよう。

*****

BALANCE / 『AGORIA』 (EQ)

ノリのよいクラブ・ミュージックにマッドなノイズが入り混じり、混沌とした音のモザイクがかたちづくられている。難点は、CD1の前ふりの長さ。Track#9までは前奏だと考えられるので、ちょっと焦らしすぎだと思う。

*****

FRANCOIS K. / 『AIR』 (LASTRUM)

大好きなFrancois K.のアルバムなのだけれど、正直、テクノ色が強まって以来、彼のサウンドはいまひとつ響かないので、今回も、まあそんな感じなのであった。彼には、金属的な音より、とろとろした液体的な音を望む。

*****

DERRICK MAY / 『AIR』 (LASTRUM)

これ、うっかり聴き込むのを忘れていた。時代に流されない骨太のサウンド。第一印象はよかったのだけれど、熱いし、聴く時機を選ぶアルバムである。暑い夏に向けて、本作を聴く機会が増えるだろう。というか、増やしていきたい。

*****

GILLES PETERSON / 『HAVANA CULTURA』 (BROWNSWOOD)

キューバンなアルバムである。冒頭の、カウント〜掛け声〜ベース〜Yaroldy Abreuのコンガ〜の流れにやられ、即購入した。その時々の気分でCD1/CD2を聴き分けたり、いろいろつかい勝手のよいアルバムだと思う。しかしGilles Peterson、こうした業界には珍しく、地に足の着いたよい仕事をしている。格好のよい男だ。

*****

KAITO / 『TRUST』 (KOMPAKT)

これも変わらない姿勢が貫かれているアルバムで、好感が持てる。でも、『Hundred Million…』を超えてはいないかな。とはいえ、夜、ひとり部屋で聴くことが多い。

*****

LOUIE VEGA / 『10 YEARS OF SOUL HEAVEN』 (MOSCD)

さらに、これも変わらぬ姿勢が格好よさを際立たせているアルバムだと思う。Louie Vegaの、集大成ともいうべき3枚組のミックス・アルバム。ハウスと、ラテンのリズムと、伸びのよいヴォーカルと、助平な男の繊細な手仕事。しかも、節々に腰がぐいっと入っている。さぞかしモテるのだろう。
posted by Ken-U at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

「虹の理論」 七色の誘惑者、その半音階的な響きと歌

中沢新一著 『虹の理論』 (講談社文芸文庫)

虹と病気と毒について。虹色の身体を持つ蛇と庭園、市の関わりについて。

rainbow.jpg大地から立ち昇る七色の虹。その色彩はどこから生まれ出てくるのだろう。光と水の反射だけがその理由なのだろうか。ラマ僧によると、虹を光学現象として理解したとしても、虹という現象そのものが持つ秘密を解明したことにはならないのだそうだ。それは時計をもって時間の秘密を解き明かすことができないことと同じで、光の運動を機械的になぞったとしてもその謎の奥深い部分に辿り着くことはできないというのだ。確かにそう考えていくと、虹が持つ色彩、描く弧の謎が謎として再発見され、その得体の知れなさに驚愕する。虹は人の意識を奪い、心を魅了する誘惑者である。そして高度化された社会において、この誘惑者は人工的に模造され、大量に撒き散らされているのだけれど、わたしはこの乾いた虹の世界をどう生き抜けばよいのだろう。

もっとたくさんの朝の鳥たちが、「虹の蛇」の身体からとびたたなければならない。もっと高く、もっと空気の軽いところまで、それをもちあげていく羽根の力が必要だ。大地への郷愁から解放されなければならない。大地の底にむかっておりたっていくのではなく、大地もその一部である宇宙としての自然のほうに、じぶんを撒布させてしまうのだ。(p.100-101)

かつての社会では、虹の立つところに市場を開き、そこでモノの売買をしたのだという。虹の持つ魅力と、毒と、庭、市の関わりについて、人工的な虹を撒き散らす現代社会において市がネット上に現れることの意味について、幸福であること、幸福を目指すことの意義、あるいは「幸福」という言葉そのものの意味、その未来について、どこにも辿りつくことのない問いを繰り返しながら虹のない空を見上げた。わたしは飛び立つことができるだろうか。
posted by Ken-U at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。