民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義です。(p.21)

民藝品とは、民衆が日用づかいするために量産される工藝品のことで、本書ではそれが貴族的な工藝品(作家による作品群)との対比の中で語られているのだけれど、かといって、それは市場に溢れている工業製品とも異なり、民藝品は用のため、工業製品は利のために生産されるという性格の違いがあって、柳氏は、機械化され、濫造される製品群を雑器と呼び分けている。
そう考えると、今、市場を眺めたり、自分の、周囲の日常を見まわしてみたときに、「民藝」に位置する品々はほぼ皆無で、雑器ばかりが目立つ。民藝らしきもの、たとえば、musuburiの生地、10年1着の衣服などは手工藝であり、限りなく一点ものに近くて量産品ではない。あるいは、いわゆるセレクトショップの棚にみえるそれらしき品々も、こじんまりとした作家物か、いわゆる途上国の土産物的工藝品であり、本書で語られるような、民衆のための、普段づかいの、用のものではない。いまや民衆は、日用品を100円ショップやスーパーマーケットなど、廉価を売りにした商店群、あるいはネットで買い漁るのであり、あとはせいぜい無印であるとか、どちらにしても雑器に行き当たるしかないのだ。
とはいえ、日常の中につつましい美しさを求める心は、今も人々の胸の内に残されている。ただ、それは市場に溢れかえっている商品群というより、カフェやギャラリーなどで開かれる小さな展示会やワークショップなど、参加可能な空間で生み出される品々のような、量産品ではない、極私的なモノの中に見いだされつつあるのかもしれない。