2011年03月27日

「ファンタスティック Mr.FOX」 生命に感謝、そして祝杯

ウェス・アンダーソン監督 『ファンタスティック Mr.FOX』 (シネスイッチ銀座)

原題: 『FANTASTIC MR. FOX』

生きていてくれて、ありがとう。

fantastic_mr_fox.jpgストップモーション・アニメでつくられてはいるけれど、父と息子の関係であるとか、散りばめられた笑いによる独特のゆるみなど、本作でもいつものウェス・アンダーソンらしさは健在であった。でもアニメであるせいか、表現の幅、奥行きに限りが感じられるところもあって、これはこれでいいのだけれど、正直、次作は実写だといいなと思った。つまり、いい歳こいた私にはまずまずの作品だったのだ。とはいえ、近くにいた子供たちが喜んでやいやいしていたので、やはり、これはこれでいい作品なのだと思い直したり。

息子は父親との関係をこじらせている。自分が父親に認められていないと感じていて、でもその想いに押し潰されてしまわないよう葛藤し、反抗してみせたり、常にもがいている。それであえて無茶をしたり、その挙句に失敗を重ねてさらなる偏屈の穴倉の中に陥りかけてしまうのだけれど、しかし彼の父親はさらに無茶な男で、それで親子の無茶がさらなる無茶を誘発し、ついには家族や周囲の人たちを巻き込んで無茶苦茶な事態を招いてしまうのだ。しかしこの喜劇的な無茶苦茶は、父と息子が、じつは心に同じ問題を抱えながら生きていることを顕していて、どこか切ない。

この『ファンタスティック Mr.FOX』においてウェス・アンダーソンが描きたかったのは、いよいよというところで父が息子に語りかける、あの場面なのだと思う。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』のときと同じように、父が息子に珍しく優しい言葉をかけ、その言葉をきっかけにすべてが収束に向かい、人々が再び平和につつまれる。いわゆるハッピーエンドが彼の世界に訪れるのだ。で、その言葉とは、生命に対する感謝の気持ち。父は、我が息子に、生まれてくれてありがとう、と感謝の気持ちを伝える。ウェス・アンダーソンは、本作を観るすべての子供たちにこのメッセージを伝えたかったのだろう。だからこそ、この作品をアニメで仕立てたのだ。

この世に生まれ出たこと、いま生きていること、その事実そのものが素晴らしく、感謝せずにはいられない。そうした気持ちを誘発する作品と、いま出会える奇跡。
posted by Ken-U at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(USA) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

地震

11022601.jpg

3月11日(金) 14:46 東北地方太平洋沖地震

そのとき、社内のミーティングルームにて取引先と商談中。いつものように営業さん相手にワアワアまくし立てていたのだけれど、彼ら、急に視線を虚空に泳がせ、ん?、揺れてますよ、え?なに?ホントだ...ふと我にかえると床ぐらぐらしていて、しばらく無言。それからわけもなく、大丈夫、大丈夫!と、誰を庇うでもなく、なのに何かを取り繕おうとしている俺。しかし残念なことに、どう考えても大丈夫じゃなくて、やがて床、ぐいんぐいん揺れ、営業さんが机の下にって言うんでとりあえず潜り、でもさらなるぐいんぐいん、しまいにどこからともなくミシッミシッと安っぽい音が聞こえてきて、いよいよ恐ろしくなり、祈るような気持ちになってもおさまる気配がないので部屋から外を覗いた。すると、数名が廊下に立ち尽くしてひとりを見守っている。そのひとり、非常階段の扉を開け、周囲とアイコンタクト。で、いざ我らもとよろよろ非常階段に飛び込み、駆け下りながら地上を目指した。背中に緊急アナウンス、おせーよとぶつぶつ唱えながら、剥がれ落ちたモルタルを踏み踏みどうにか地上へ戻ったのだった。で、振り返ると営業さんふたりも無事、よかったですねえ、なんて笑顔も戻り、しかし業務は継続困難ということになりその場で解散となった。

その後、部屋に落とした財布とPCを拾いに戻り、さらに駆けのぼって荷物を取って、また階段で地上に降りあとに、近所で同僚とコーヒー。一服して別れ、徒歩にて帰宅したのだった。

恐ろしい体験だった。が、もっと恐ろしかったのは帰宅してTVを点けたあとで、地震、津波、放射能、そのすべてが悪夢のようにみえた。以降、PCとTVで情報をあさりまくり、こんな日々は10年ぶりだなあ、なんて思いながら眠くでどうにもならなくまるまで情報の前から離れられなかった。

ただ、10年前はこのまま鬱々となり、引き籠りかけたのだけれど、今回は違う。在宅勤務は今日かぎりらしいし、明日からまたあのぼろビルで、右往左往しながら日常にまみれなければならないのだ。生き残った者が生き続けなければ、世界に未来はない。死んだ人たちと、まだ生きている者とでは背負うものが違うのだ。生きることを選び、それを手にした者にはすべきことがある。困難を乗り越えた先にこそ、悦びがあるのだ。
posted by Ken-U at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常のひとコマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月05日

味スタ J2開幕

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寝坊して昼前に起床。途中でけんちん蕎麦を食し、飛田給へ。でも、釣られてつつじヶ丘で降りてしまったり、ぎりぎりに現地。

駅に着いたときは構内がガランとしていて、ひょっとするとスタジアムもがらがらなのだろうか、J2だものなあ、と心の準備をしつつ到着。すると、いつも通り、というか開幕戦であるせいかいつも以上の客入。発表では、21,408人。

しかしゲームは退屈だった。とくに前半は鳥栖に押され、危うい場面も度々。中盤がつくれずまっとうなビルドアップがない。基本、縦ポンで平山起点。という戦術(?)でサッカーの輪郭がないのだ。J2で対等なゲーム展開かと落胆した。今季、いちばんの懸念は大熊さんの采配である。

一方、予想以上に鳥栖がよかった。少し肩入れしてみてしまったのかもしれないけれど、統率がとれていて、ポゼッション時はDFラインも高く、攻撃的で、強いセンターフォワードさえいればJ1も視野に入るのでは、と思えた。でも、そんなFW、そう簡単には獲得できないのだろうけれども。

とはいえ、これからセザーがコンディションを上げ、梶山、米山の中盤が戻れば状況も変わるだろう。そしてほかの新加入選手がフィットすれば、それなりの結果がでるとは思う。ただ、僕が求めるのは結果だけではないのだ。

終了後は新宿まで。いくつかの店をまわった。でも、購入には至らず。
posted by Ken-U at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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