2008年06月15日

「チベットのモーツァルト」 言葉の世界の彼方へ

中沢新一著 『チベットのモーツァルト』 (講談社学術文庫)

 「だが、『H』における意味の微分法は、同時にこのうえなく豊かな官能性に裏打ちされている。テクストをかたちづくる言葉の群れに、腰のあたりがうずいてくるような、松果体がふるえだすような、リズムのうねりがあたえられているからである。
 エレガントな記号の解体学。微分法の官能性。クリステヴァはそれを「チベットのモーツァルトのような」と形容した。(p.15)」

unne_sorte_de_mozart_tibetain.jpg中沢新一の処女作である本書には、彼がネパールから帰国して間もないころに綴ったいくつかの文章が収められている。ネパール時代、彼がチベット仏教の修行に身を投じていたのはよく知られた話だけれど、その痕跡は本書のいたるところに見受けられる。さらに処女作であるという背景も手伝って、ここに刻まれた言葉のつらなりからは、のちに芸術人類学、あるいは対称性人類学と名づけられる彼の思考の原点が感じられる。それは言語の世界を逸脱するための言語というか、言葉による意味の世界を抜け出て、その彼方に広がる無限の領域へ向かおうとする思考の軌跡のようなものだ。しかしそれは一筋の運動体というわけでもなく、明確なかたちも持たず、名を与えられてもいない。そこにあるのは、つらなる言葉のあちらこちらから湧き出る多種多様なイメージであり、そのイメージ群がたがいに結びつき、あるいは溶け合うことによってぼんやりと浮かび上がるある種のヴィジョンである。

先々月の終わり頃に本書を手にとり、それからチベットをめぐる悲劇についてはもちろんのこと、そのほかにも音楽のことや映画のこと、あるいは友人や職場のことなど、自分をとりまく様々な事柄に想いをめぐらせながら読み進めた。ということもあって、とくに先日のミニマル・ハウスについての記録などには、本書にある「打つ音」をめぐるイメージの影響がそのまま反映されている(過去記事)。また、読了後、年内にダンテの『神曲』を読み始め、それからあらためてゴダールの『アワーミュージック』(過去記事)を鑑賞したいと思った。

*****

最後に、先日行われた『チベットの平和を願う集会』の取材記事へのリンクを貼りつけておく(link)。そこで、中沢新一、ペマ・ギャルボ両氏による対談の様子が紹介されている。ぼくがチベットに対してできることは、祈ることと、彼らが大切にしている心の捉え方について少しでも理解を進めること。些細なことではあるけれど、些細なことの中にこそなにか大切なものが隠されているかもしれない、とも思う。


posted by Ken-U at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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