2008年08月23日

「ぐるりのこと。」 融和するこころ、蘇生

橋口亮輔監督 『ぐるりのこと。』 (シネマライズ渋谷)

寄り添うふたり。

gururi04.jpgある夫婦の10年間が描かれている。夫婦それぞれの性格は対照的で、妻は合理性を重んじる傾向があり、何事も「ちゃんと」していないと不安を感じてしまう近代的な女性である。一方、夫は「どっちつかず」。何事にも明確な意思を示さず、なにを考えているのかわからないところがあり、そうした彼のゆらゆらしたところが妻の癇に障る。そしてある事故をきっかけに、妻の心は下降線をたどり、自分で自分を追い詰め、ついにはパニックに陥ってしまう。心が引き裂かれ、押し潰されそうになる。そんな彼女を夫は温かく見守り、その側に寄り添う。

この夫婦間のやりとりを眺めながら、同時代の自分のことを思った。まだ若く、この硬質な世界を生き延びるためにちゃんとしなければという気持ちと、そんな乾いた世界に絡め取られることなくゆるゆるとしていたいという願望が心の中でまだ混沌としていた。当時、たしかにこの夫婦と同じような葛藤が自分の頭の中で渦巻いていたと思う。そこにはふたりの自分がいて、そのふたりがしばしば揉め事を起こすような感覚である。

というか、状況はいまも変わらないとは思う。世間というか自分の中のある部分は私にちゃんとすることを求めているし、私もその要求にそれなりに応えようとはしている。けれど、とくに2001年頃を境に、ちゃんとしなければ、という強迫観念は私の意識内で後退する一方で、ここ最近ではむしろなにかと緩みがちである。今、私の心は、あの頃よりも柔軟になりバランスがとれているような気がするし、多少は成熟が進んでいるように思える。

映画としては、とくに冒頭からあの嵐の晩以前の描写がのろいというか、無駄なシークエンスがいくつも挿入されているように思えた。それはタイトルの末尾に「。」をつけるようなものなのかもしれない。媚びているのだろうか。へんな冗談や、味噌汁に唾を垂らす部分はいらなかったと思う。あと、あの時代に起きた社会的事件が裁判やTV報道を通して描かれていたけれども、それが夫婦の世界から少し遊離していて、うまく重なっていないように感じられた。しかし、そうした部分を補って余りあるのは木村多江の演技である。いまどき、あんなに全力で泣く人をみる機会は滅多にないと思う。あの場面を観ていて、彼女は身代わりなのだと感じた。
posted by Ken-U at 23:26| Comment(6) | TrackBack(2) | 映画(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タイムリーに好みの作品の感想が続いているので(あとブログを始めましたので、そのご挨拶もかねて)、思わずコメントです。お久しぶりです。いつもいつもひとつの作品に対して、丁寧に感想が書かれてあるので、好感をもって読まさせていただいております。

『ぐるり』と『歩いても』は両方観たいと思ってました。自然主義文学みたいな、そんな印象を持っています。写実的というか。

ところで、『ぐるり』と『歩いても』、『スカイクロラ』と『ポニョ』がそれぞれ対になっている感じで、たまたま同じ時期に似たような(?)作品が提出されたことに、奇妙なシンクロニシティを感じないわけにはいかないです。

年代でカテゴライズするのはいささか無意味かもしれないですが、ゼロ年代になぜ『ぐるり』、『歩いても』、『スカイクロラ』、『ポニョ』がつくられたのか、という意味をちょっと考えてみたくなります。それは良い意味でも、悪い意味でも、どの作品にもどこか既視感があるからです(観てないので、あくまでも広告の「印象」から受ける印象に過ぎませんが)。

あと、個人的に個人的なことが気になったのですが、2001年を境にメンタリティが低下したのは、やはり同時多発テロの影響なのでしょうか。
Posted by ケンスケ at 2008年08月24日 14:23
ケンスケさん、お久しぶりです。

この『ぐるり』と『歩いても』に共通点があるとすると、人生における不確実性を家族の力で乗り越える、みたいなことになるんでしょうか。たしかに、いまこの時期にこうした作品が目立つといわれればそういう気もしてきます。ケンスケさんは、良くも悪くも既視感があるとおっしゃいましたが、悪く(?)いえばノスタルジーということなのかもしれません。ただ、この『ぐるり』や『歩いても』にしても、ノスタルジックな世界が描かれているかというと、そうでもないような気もします。

あと、2001年を境にメンタルが低下したのはやはり911とその後の暴力の連鎖の影響が強いですね。あれで自分の90年代が崩落し、21世紀に対するイメージも暗く塗り替えられてしまいました。さらに、ぼくはあの頃30代半ばで、ちょうど人生の折り返し地点にいたというのも大きいですね。私的にもいろいろと考えていた時期でした。だからもう911以前の生き方はできない。違う姿勢で生きていこう。と思っていて、それが上にある「ちゃんと」の後退という言葉に繋がっています。むしろほどほどに「だめ」である方がいい、ランボー、みたいな。

長くなりました。ではケンスケさんのブログも読ませていただきますね。
Posted by Ken-U at 2008年08月25日 00:04
TBありがとう。

木村多江さんは僕もホラー映画での印象しかなかったんですけどね。

>いまどき、あんなに全力で泣く人をみる機会は滅多にないと思う。

そういわれれば、そういう気がしますねェ。
Posted by kimion20002000 at 2008年08月28日 00:55
kimonさん、

TBをお返ししたことをすっかり忘れていて、いただいたコメントの内容がはじめよくわからず、そのままになってしまってました。すいません。コメントありがとうございます。

木村多江が演じる女性の号泣する姿は深く印象に残っています。いまはああして泣くことがゆるされる時代でもないような気がするので、きっと彼女は身代わりに泣いているのだろう、と思いました。
Posted by Ken-U at 2008年08月31日 12:40
Ken-Uさん、こんばんは。TB&コメントありがとうございました。
味噌汁に唾を垂らすなど、私も露悪的だと思ったシーンもあったの
ですが、カナオのような生き方はなかなか真似できないと思います。
裁判で選りすぐられた「悪意」と伴侶の「うつ」という、社会と個人の
もっともネガティブな側面に触れながらも、それでも平然としているの
ですから。普通の人なら、いずれか一方に触れただけでも、
精神的に参ってしまいそうです。
カナオのような昼行灯型のタイプは、混迷を深める時代を生き抜くための、
モデルタイプの一つかもしれませんね。
Posted by 丞相 at 2008年08月31日 23:40
丞相さん、こんばんは。コメントありがとうございます(今回TBはしてませんよ)。

たしかに、カナオのような態度をとるのは難しいと思います。でも、法廷にしろ妻との問題にしろ、カナオは微妙な距離を保っているじゃないですか。ちょっと安全なところにいるというか。正直、そこは複雑なんですよね。

ただ、丞相さんがおっしゃるように、この混迷の時代に彼のとる態度はひとつの選択しだし、実際、ぼくもどちらかというとカナオ派なのかなあという気がします。そんないろいろを考えさせる良作でした。鑑賞後、渋谷のセンター街を歩いたんですが、なんとなく景色が違って見えましたよ。理由はよくわかりませんが。

最後になりましたが、この作品を薦めてくださってありがとうございます。観てよかったです。
Posted by Ken-U at 2008年09月01日 00:52
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Excerpt:  『めんどうくさいけど、いとおしい。 いろいろあるけど、一緒にいたい。』  コチラの「ぐるりのこと。」は、6/7に公開された「ハッシュ!」の橋口亮輔監督の6年ぶりの復活作となるヒューマン・ドラマ..
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Tracked: 2008-08-24 10:49

mini review 08318「ぐるりのこと。」★★★★★★★☆☆☆
Excerpt: 前作『ハッシュ!』が国内外で絶賛された橋口亮輔監督が、6年ぶりにオリジナル脚本に挑んだ人間ドラマ。1990年代から今世紀初頭に起きたさまざまな社会的事件を背景に、困難に直面しながらも一緒に乗り越えてゆ..
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