とても面白く読むことができた。ここで語られている性の話のほとんどは、赤松氏自身の体験にもとづくものだ。彼は関西の山村で生まれ育ち、その後、町に出て丁稚奉公をした。戦後は行商として関西の山村を回りながら、住人たちに聞き取り調査をしたそうだ。調査といっても、実体験が伴なうものだったそうだが。まあそのくらい深く入り込まないと、性にまつわる話をよそ者に披露することはないのだろう。そうやって体験したり見聞きしてきた日本人の性の営みが、軽妙な語り口によって綴られている。猥談混じりの思い出話というか、エッセイのような雰囲気も漂っていて、それが本書を魅力的なものにしているような気がする。
この『夜這いの性愛論』で興味深かったのは、『夜這いの民俗学』では割愛されていた、都市部の性の実態に触れられているところだ。ここでは、主にマチの下層民の風俗が紹介されている。社会の近代化に伴ない、山村から人々が流出し、都市部へ集まっていく。成人は場末に溜まり、廉売市場群を形成する。子供たちは、この廉売市場、もしくは大商店の丁稚、女中として働くようになる。商店に住み込みで働く彼らは、山村で培った夜這いの慣行を都市部へ持ち込んでいく。
表向きには、マチで夜這いはないものとされていたようだけれど、実際は、丁稚、女中に限らず、番頭、女将、旦那も巻き込んだ夜這いが広く行われていたようだ。年末の大掃除の後には丁稚と女中が入り乱れ、乱交まがいの宴会が開かれたりもしていたらしい。
ただし、伝統的な商人の世界では明治政府が推進する一夫一婦制が浸透していたため、旦那たちはカネをかけて妾を囲ったり、遊女たちと遊んだりすることのほうが多かったようだ。
ムラの共同体では住人たちの性が混然一体となっていたのとは対照的に、マチの性のあり方は一夫一婦制とその外側(妾、遊女)に切り離されていった。それを強く推進したのが明治政府で、夜這いに対する行政の弾圧はかなり強いものだったらしい。その弾圧が山村部に及ぶと、ムラの若者の中には「夜這いがなくなると誰と結婚したらわからなくなる」と困惑する者も多かったようだ。
夜這いの衰退と共に、日本人の性や結婚に対する価値観は変わった。処女であることが重んじられるようになり、見合いによる結婚が増加した。現在「伝統的」だと見做されている日本人の結婚様式は、この頃に確立した。こう整理すると、その歴史はとても浅いものだということがわかる。
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社会学者の上野千鶴子氏の解説も面白かった。赤松氏の研究は90年代に入ってからブレイクし、宮台真司氏のフィールド・ワークにも影響を与えているのだそうだ。たしかに、現代人が抱える性の問題と、この夜這いの歴史には繋がりがあるのだと思う。考えてみると、自由恋愛を追及してきた現代人が営む性の実態は、とても不自由なもののようにも感じられる。
現代の恋愛や結婚から、出産、主婦や女子中高生の売春、児童買春と権力の関係など、現代社会が抱える性の問題について、あれやこれやと思いをめぐらすことができた。また、夜這いに中世の性の営みの名残りを感じるとともに、さらに時代を遡らせて、弥生と縄文の結婚、天皇家の成り立ちのことなども連想してしまった(過去記事)。解説にもあるように、人間の性とは本能ではなく、文化なのだということを思い知らされたような気がした。とても刺激的な一冊だった。
(関連記事:「夜這いの民俗学」 柔らかな性の世界を覗く/2005/11/29)


