2005年12月16日

「アフガン零年」 終わらない少女の旅

セディク・バルマク監督の『アフガン零年』を鑑賞。

首都カブール。タリバンの圧政下では、身内の男性が同伴しない女性の外出は禁じられていた。しかし長く続いた戦争によって、多くの男たちは命を落としている。残された女性たちは路頭に迷うしかない。

osama00.jpg少女は母親と祖母の三人で暮らしている。父親は戦死した。男のいない家庭では、母親が仕事に出ることもできない。母親は苦慮の末、娘を少年として働きに出すことにする。短く髪を切られ、これから自分が直面するであろう厳しい現実に怯える少女。祖母は彼女にある昔話を聞かせる。虹をくぐることで、少女が少年に、少年が少女に生まれ変わることができるという話。祖母になだめられ、少女は懸命に死の恐怖を乗り越えようとする。

*****

アフガニスタンが抱える物語について、ぼくは漠然とした印象しか持ち合わせていない。それがとても悲劇的なものだということは分かるけれども、正直なところ、もうひとつしっくりとこない部分もある。例えば、ロンドンで爆破テロが発生し、死傷者が出たと聞くと大きなショックを受けるけれども、同じような事件がカブールで(またはバクダッドで)頻発しているという事実を知らされても、ロンドンの事件から受けるようなショックを感じることができない。アフガニスタンやイラクで発生するテロに関する小さなニュースを目にする度に、その格差のことが脳裏をよぎる。

少年の姿を装った、この少女の命も軽いものなのだと思う。しかし、彼女の姿を追っている間は、その命が危機に晒され、震える様子に心を強く動かされる。

この作品はフィクションだけれども、映像からは強い生々しさが感じられる。それは、タリバン圧政下で起きた現実が、この作品に多く組み込まれているからなのだと思う。作品の冒頭部分をドキュメンタリー的に撮るという演出の効果も大きい。フィクションとドキュメンタリーの境界を曖昧にしながら、観る者を物語の中に引き込んでいく力がこの作品にはあると思う。

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主人公を演じたマリナという少女が素晴らしい。彼女はこの作品のためにスカウトされるまで、物乞いをしながら家族を養っていた。彼女が背負わされているものは、その表情に投影されている。彼女の演技は演技ではないのだろう。彼女の存在は、この作品のラストを変えるほどの影響力があったのだという。

演出の水準がとても高い作品なのだと思う。世界は広い、と感じた。
posted by Ken-U at 15:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(その他の国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Tracked: 2005-12-16 18:50