『ボスニア内戦 10年目の真実 〜スレブニツァ虐殺はなぜ起きたか〜』 (NHK)
1995年7月、旧ユーゴ東部の村スレブニツァで、セルビア人勢力によるイスラム系住民の虐殺事件が発生した。その犠牲者の数は約8,000人にものぼるといわれている。今夏、この虐殺事件の証拠となるビデオ・テープが旧ユーゴ国際戦犯法廷に提出された。番組では、このビデオに記録された映像と関係者の証言によって、この虐殺事件の経緯が検証されていた。
証拠になったビデオ映像はセルビア秘密警察が撮影したもので、6人のイスラム系住人が銃殺される様子が収められている。
この6人の男性は、セルビア人勢力から逃れるために、国連から安全地帯に指定されたスレブニツァに逃げ込んだのだが、スレブニツァも陥落してしまったため、セルビア人勢力に捕らえられてしまったのだ。
映像に現れるセルビア人たちは、人間の命を奪うという行為に対して無感覚になっているようだった。6人の男性を殺す際、カメラを担当している男が、バッテリーが切れそうだからと他の男たちに”処理”を急がせる。セルビア人の男たちは緊張した様子もなく、普通に会話を交わしていて、ときには笑顔をみせていた。
捕らえられたイスラム系の男性は、背中に銃弾を浴びるとあっけなく倒れた。横たわった死体には、とどめの銃弾が撃ち込まれる。その映像を眺めていて、人間の命は簡単に果ててしまうのだと感じた。
国連が安全地帯に指定したことで、周囲の住民がスレブニツァに集まり、6千人の人口は3万人以上に膨れあがった。しかし、国連から派兵されたのは600人の保護軍のみで、その規模は必要とされた兵力の1/3以下であった。さらに、保護軍に対する補給路が断たれ、その機能は麻痺してしまう。セルビア人勢力が侵攻すると、町はあっけなく陥落した。
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バルカン半島が抱える重い歴史が感じられた。スレブニツァ陥落後、セルビア人勢力を指揮していたムラジッチ将軍が口走ったのは、オスマン帝国時代からの恨みをはらすという言葉だった。この重い物語を支えにして、彼らは命を奪い合ったのだろう。
また、国連が抱える問題につていも言及されていた。バルカン半島を舞台にした殺戮の連鎖に対して、国連のとった態度は消極的なものだった。当時、ボスニア内戦を担当した明石康氏がその内情を証言していた。
その話を聞きながら思い出したのは、ルワンダ大虐殺のことだ(関連記事)。ボスニア内戦への対応を優先したために、国連はルワンダを見殺しにしたという証言があったけれども、そのボスニア内戦にも国連は消極的だったという事実が浮き彫りにされていた。
かといって、国際紛争を解決する責任のすべてを国連になすりつけるのもどうかとも思う。しかし、何がどうなれば状況が改善されるのかはよく判らない。感じたのは、人間の命には格差があり、軽い命はいとも簡単に消し去られてしまうという現実だ。自分の命にはどれほどの重みがあるのだろう、と自問させられた。


