2008年12月31日

「マシュー・バーニー:拘束ナシ」 創造的跳躍と負荷の関係

アリソン・チャーニック監督 『マシュー・バーニー:拘束ナシ』 (ライズX)

原題:『MATTHEW BARNEY : NO RESTRAINT』

映画『拘束のドローイング9』(過去記事)の舞台裏。及び、マシュー・バーニーのプロファイル。

no_restraint00.jpg「拘束」とは創造に不可欠な抵抗力であるというマシュー・バーニーの思考は、かつてアスリートであった彼自身の経験に基づいている。負荷をかけたトレーニングにより筋力や技術力が向上するように、拘束に対する反発によって芸術的創造性が増すというのだ。本作を通して、そうした彼の創造に対する基本姿勢を再認識することができ、とても興味深く感じた。実際、デビュー当時の作品からこれまで、彼は一貫して自分の身体を拘束させつつ、その負荷に反発するように自身の作品を創作し続けている。あるいは、その創作行為自体を映像に収め、その過程を作品化しているのだ。

しかし面白いのは、これまで彼が創作した作品群と、彼のいわゆる「体育会系」的な創造のアプローチの間に距離、あるいはある種の断絶があるところで、実際、彼が創作するオブジェクトや『拘束のドローイング9』のような映像作品から彼の創作姿勢を見通すことは困難だと思える。この距離、あるいは断絶を生み出すためにはある種の創造的跳躍が必要になるのだと思うけれども、その跳躍に一役買っているのがワセリンで、しかしこのワセリンがなぜ彼の創作の中で重要な媒介役を果たしているのか、その理由は謎に包まれている。とにかく、彼は子供のころから好んでこのワセリンをつかって創作をしていて、実際、彼はデビューの際にもこのワセリンをつかったオブジェクトを発表しているのだ(ワセリン製のダンベルというオブジェクトの中に彼のすべてが凝縮されているのかもしれない)。

とにかく、分析的にマシュー・バーニーの創作背景を眺めてみても答えを見い出すことは不可能なのだ。今ここでいえることは、そこには創造的跳躍があるということと、その跳躍力が観る者の心を揺さぶるという事実である。もし、その跳躍力が強い負荷を乗り越えることによって得られているのだとしたら、私がこの世で最も嫌悪する負荷(ストレス)もまんざらではないと認めざるをえない。つまり、発想の転換である。負荷と創造の関係を見つめ直し、応用して、自分の将来に役立てることができればと思う。


posted by Ken-U at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。