2006年01月26日

「女の中にいる他人」 境界を越えてしまった男

成瀬巳喜男監督の『女の中にいる他人』を鑑賞。成瀬作品には珍しい犯罪劇。

田代は古い友人である杉本の妻、さゆりと不倫を重ね、その挙句、彼女を誤って殺害してしまう。犯行後、彼は犯した罪を隠しながらも、その重圧に苛まれ続ける。

onna_no_naka02.jpgモノクローム映像のコントラストが強く、描かれる世界の非日常性を浮き立たせている。ただし、これはサスペンスというよりも、心情描写を味わうための作品であるように思われた。
例えば、踏み切り、おもちゃの消防車(踏み切りの音を連想させる)、落雷、打ち上げ花火、停電、蝋燭、トンネル、吊り橋などの音や影(境界領域)の効果が巧みにつかわれている。

それに、冒頭で交わされるガラス越しの会話から始まる田代と杉本の距離。そして田代とその妻、雅子との絆。田代の心情が揺れ動くとともに、親友、妻との関係にも乱れが生じていくが、その過程が丹念に描かれている。

とくに印象に残ったのは、雷雨の晩、寝室で田代と雅子が会話を交わすシーン。雅子が押入れから布団を下ろす時に、ブラウスの背中から下着の線が透けて見える。それまでは隠されていた雅子の性的な部分が、そこで初めて露わになる。そして停電による暗転、蝋燭の明かりに灯され、浮かび上がる雅子の顔。思わず、田代は秘密の一部を漏らす。この一連のやりとりはとても淫靡に感じられた。

*****

物語が進むに従って、田代は刑務所を強く意識する。刑務所とはあの世のメタファーとなっている。逮捕の恐怖に耐えられず、自首することも考えるが、自首は自殺と重ねることができるだろう。

さらに露骨なのは、田代が山間の温泉場で遭遇する飛び降り自殺。自殺につかわれた吊り橋のショットはとても不気味に映る。晩年、成瀬監督は温泉場の飛び降り自殺を繰り返し撮っているけれども、その背景には当時の彼が抱えていた心の闇があるのかもしれない。自殺願望があったとまでは言わないけれど、成瀬監督は死を強く意識していたのだと思う。田代という男には、当時の彼の心情が濃く投射されていたのではないだろうか。


posted by Ken-U at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(成瀬巳喜男) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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