この時、彼はすでに瀕死の状態であった。

そうした疎遠の中、リアルタイムで唯一の接点となったのがこの『瀕死の双六問屋』だった。当時、僕はこの連載を楽しみにしていたのだ。そして深く共鳴していた。音楽を聴くように彼の文章を読み、それから自分の人生を少しだけ狂わせたのだ。2000年には二度目の転職をして、その翌年には先を決める間もなくまた退職した。阿呆な上層部と揉めてしまったのだ。会社とは、その上層とは、人をかくも阿呆にしてしまうものなのかと呆れてものもいえなかった。そうこうしてぶらぶらしているうちに、歌舞伎町の雑居ビルで火災、その直後、ニューヨークで超高層ビルの崩落、そしてアフガニスタン紛争の勃発など、無数の罪無き人々が続々と死に、ああ、こうしてすべては終わりに向かうのだなあ、などと思いながらうちに籠もった。もうなにもしたくなかったし、関わりたくなかった。
以来、いつか読み返したいと思っていたのだけれど、彼の死がそのきっかけになるとは思いもよらなかった。芸術について受け手ができることといえば、その作品に直接ふれて心揺らすこと、その想いを誰かに伝えること、そして自腹のカネをなんらかのかたちでそのつくり手にまわすことだと思う。ではその受け手として、僕は忌野清志郎になにをしてきたのだろう。本作の連載中に活動していたラフィータフィーの音を初めて聴いたのは彼の死後であった。そしてその音に愕然とした。予想よりずっとかっこよかったのだ。当時、瀕死状態であったにもかかわらず、彼は至上のバンドサウンドを編み出していたのだ。しかもそれだけではない。その前のタイマーズも、おまけにアルカイダーズ、セムシーズですら締まったよいサウンドを響かせていたのだ。彼の死後、ネット上でその映像を漁りつくすように観て、その素晴らしさがようやくわかってきた。後悔さきに立たず。
忌野清志郎は、当時からずっと瀕死状態だった。ただ、このときの「瀕死状態」は、言い換えれば「絶望状態」だったといえる。腕に自信があり、実際、いい音を出していたにもかかわらず、上層部のわけのわからん圧力でその仕事が握り潰され、世間はその在り様を見て見ぬふり、自分はこの腐れきった世界相手にどうやって才能を発揮すればいいのだ、と彼は深く失望していたに違いない。本書を読み返していてもその絶望がひしひしと伝わってくる。まだ前半は文末に「もうしばらく君のそばにいる」などと優しい言葉が添えられているのだけれど、後半に入るとそのフレーズも消えうせ、ただ荒涼とした心象風景が綴られながら文章が結ばれていくのだ。ブルース。哀歌である。そしてこの『瀕死の双六問屋』以降の連載では、さらに彼の態度が投げやりに変わっていく。つまり、この世は清志郎を黙殺し続け、長い長い年月をかけてこの五月にその目的を達成したのである。この世界が忌野清志郎を殺したのだ。少なくとも、僕にはその実感がある。
最後の町田康による解説、清志郎本人によるあとがきが心に沁みた。僕は僕なりの姿勢でこの世界と向き合うしかないのだろう。