2009年08月10日

「夕子ちゃんの近道」 過去の再編成、新たな価値の創造

長嶋有著 『夕子ちゃんの近道』 (講談社文庫)

瀕死のフラココ屋とその周辺。いろいろな人たち。

yuko_chan01.jpg長嶋有はいつも小さな世界を描く。しかも、描写されるのは目に見える些細な物事ばかりだ。しかし、その例外として記憶の領域があり、それがアクセントとして作品世界に味わい深いゆらぎを与えている。現実に目に見えているものではなく、かつて見た物事に対する描写。それはもちろん脳内で再編成された過去であるので、かつてみた現実とは少しずれがあり、それは知覚した現実が脳内で断片化し、ほかの記憶や妄想が入り混じることで生成されるある種の異界だということができる。彼の作品では、その異界がこの世の抜け穴のような役割を担っていて、なにかの時に主人公がふとそこに潜り込み、浸りながら時空を超えてあれこれ想いをめぐらせるのだけれど、その振り返りが作品世界に膨らみを与え、不思議な魅力を湧き立たせる。

でも、この『夕子ちゃんの近道』には過去の描写がない。少し噂話が添えられる程度で、あとはほぼ今だけが語られる。ただ、そのかわりに異界の役割を担っているのが「フラココ屋」なのだと思う。そこでは価値の転倒があり、既成の価値観から少しはみ出た人たちの心を惹きつけ、それぞれを繋ぎ合わせている。この摩訶不思議な魅力あふれる自称アンティーク店には、ところ狭しと過去の遺物が並べられている。断片化した過去と、その再編成。そして新たに生まれ直す価値。人間の創造のプロセスとフラココ屋の在り方にはどこか似たところがあるように思える。だから意外に多くの人たちの気を惹くのだろう。

ただ、忘れてはならないのはフラココ屋は瀕死の状態であること。意外に多くの人が関心を持ち、それなりに入店もあるけれども実売は乏しいのが現実で、その経営は厳しくなる一方だ。なんとなくいいなあ、なんて思いながら、そしてその存在の危うさが薄々わかっているとしても、誰もそこにカネを落とすまではいかないのだ。いうまでもないけれども、それがこの世の常なのである。

「買わないファンなんて」店長はけっという顔をした。(p.46)

はたしてフラココ屋に未来はあるだろうか。やはり、潰れてから、手遅れになってから、その存在を惜しむ声が上がったりするのではないだろうか。ああなんて冷酷な世界なのだろう、と落胆する一方、私は私なりのフラココ屋を持たなければ、と想いを巡らせてみたり。
posted by Ken-U at 00:17| Comment(2) | TrackBack(1) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。同じ本の感想記事を
トラックバックさせていただきました。
この記事にトラックバックいただけたらうれしいです。
お気軽にどうぞ。
Posted by 藍色 at 2010年09月28日 15:06
藍色さん、

コメントありがとうございます。しかしながら、そちらのブログにTBすることはできませんでした。対FC2ではうまくいかないケースがよくあるんです。ご了承ください。
Posted by Ken-U at 2010年10月02日 22:30
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夕子ちゃんの近道 長嶋有
Excerpt: 風呂の撹拌棒を人にあげたがる女、鋸を上手に使う娘、北の湖を下の名前で呼ぶフランス人、そして空気の抜けるような相槌をうつ主人公…。自
Weblog: 粋な提案
Tracked: 2010-09-28 14:06
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