芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である。(p.238)

流れるような、柔らかな文章の中に、思わずはっとさせられるフレーズがある。短篇集なのだけれど、その並びもよい(あとで確認してみたら、時系列に並んでいただけだったのだけれど)。いろいろな文体のヴァリエーションもあって、しかしそのどれもが太宰治らしく感じられ、つくづく言葉の扱いのうまい人だなと思った。
十代の頃、本ばかり読むと馬鹿になると思っていたので読書はしなかったけれど、それでもいくらかの小説を読み、あの頃は、たしか太宰治を好んでいたと記憶している。当時、彼の小説のなにがよかったのだろう、思い返してみると、やはり心地よい言葉の流れと、それになにより、彼の創造に対する真摯な姿勢にうたれたのだと思う。全身全霊をかけて、芸術に身体ごとぶつかってゆくその態度に共鳴していたのだ。
美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。(p.108)
しかし純粋に美を求める存在をこの世がゆるすわけはなく、彼もまた瀕死のまま作家活動を続けなければならなかった。絶望の中、海に身を投げ、首を括り、それでも死ねずに七転八倒。いったい純粋の美とはなにものなのか。それにしても、この世はなんて滑稽で哀しい成り立ちをしているのだろう、と想いをめぐらせながら、窓から遠い西の空を眺めた。
人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものではないからであろう。多くの場合、人は、いつのまにか、ちがう野原を歩いている。(p.236)