2009年10月18日

「ゴーギャン展」 内なる野生、楽園と孤独、死

『ゴーギャン展』 (東京国立近代美術館)

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

gauguin.jpg彼のアマチュア時代から最晩年期に至るまでの作品群をほぼ時系列に眺めた。そしてその作品群の流れとともに、株式仲買人として裕福な生活を送っていた彼が、株式相場の大暴落をきっかけに画家となり、やがて近代に背を向け南を目指し、孤島に漂着して、その地で果てるまでの半生をおおまかに追うことができた。

強く印象に残った色彩は朱と緑のコントラスト。この二色の組み合わせから思い出したのは阿修羅像(過去記事)で、古代的といえばいいのだろうか、この色合いの意味について想いを巡らせてみたり。また、近代社会に対する嫌悪から未開の地をある種の楽園と見立てていた彼が、彼の地とキリスト教の寓話を重ねて描くことの意味、あるいは限界のことなどを思った。

たしかに、人間は野蛮な生き物だと思う。日々の暮らしの中でもそれを痛感する。たとえば孕ませた女を置き去りにし、そのまま棄てるのも人間の抱える野蛮の一部なのかもしれないけれど、そうした男のエゴと、近代帝国主義と、生と死と、世俗まみれの情事から高次の思想に至るまで、その混沌を原動力に情熱と失意の反復の中を生きたのがゴーギャンだったのかもしれない。いったい彼はなにを思いながら絵筆をとり、死んでいったのだろう。南の楽園で最期を迎えた彼は、幸福だったのか、あるいは不幸だったのだろうか。彼が見出せなかったなにかを、我々はみつけることができるのだろうか。


posted by Ken-U at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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