2009年12月31日

「きりぎりす」 肥大化する自我の迷路、醜きもの、美しきもの

太宰治著 『きりぎりす』 (新潮文庫)

太宰、中期の短編集。表題作を含む十四篇。

kirigirisu.jpg先日読んだ『富嶽百景・走れメロス』(過去記事)とほぼ同時期の作品群が収められている。が、こちらの方が作品の幅が広い。たとえば、「風の便り」、「水仙」のような、肥大化する自我の迷路を巡るばかりの、ある意味で太宰らしい自虐的な描写の目立つ作品もあって、いまの自分には、どちらかというと『富嶽百景…』の方がしっくりくる。十代の頃は、たしか初期や末期の作品を好んで読んでいたように記憶しているのだけれど、加齢のせいか、好みが少し変わったようだ。

本書の中でとくに好きだったのは、「皮膚と心」。この作品も「女学生」のように、女性の口を借りながら太宰の芸術観が語られている。

だって、女には、一日一日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。一刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触を、溺愛いたします。女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。刻々の動きが、それがそのまま生きていることの目的なのです。他に、何が要りましょう。(p.115-116)

醜さと美しさの狭間で揺れ動き、七転八倒する。醜さとは、美しさとは。答えの出ぬ問いにまみれ、その渦の中でもがきながら溺死したのが太宰治という芸術家なのかもしれない。


posted by Ken-U at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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