韓国の山村。そこには米軍基地がある。米兵を父に持つチャングクは犬商人の手伝いをしている。彼の父親はすでにその村を去っており、今はその犬商人が母親の情夫となっているのだ。彼らは米軍や村の住民から犬を買い取り、捌き、肉にすることで生計を立てている。その住処である廃バスは赤く染められている。その赤は犬の血のようであり、彼ら自身の血のようでもあり、あるいは彼らの怒りや憎しみが投射されることによって赤く染め上げられているようにもみえる。チャングクたちはそこで犬のように暮らしている。

ウノクは右目の視力を失っている。子供の頃、兄と遊んでいる時に、手製の火薬銃の弾が右目に当たってしまったのだ。その火薬銃は米軍から譲り受けたのであろう木片を組み合わせることで作られている。ウノクの顔はアメリカの銃によって片方が失われた半島の姿と重なる。さらに、彼女の運命を握るのが米兵であることも、半島の南側が立たされている状況と通じている。米兵はアメリカの瞳をウノクの顔にあてがい、これでアメリカになれると囁く。ウノクは米兵に身を任せるしかない。
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引き裂かれた魂たちは、互いに傷つけあい、さらにはその命を奪い合おうとする。そこには何の救いもない。敵の姿を見出すこともできない。この悲劇の加害者はいったい誰なのだろう。村にいるのは米兵と半島の人々、そして犬たちだけだ。そこにはアメリカを中心とする秩序がある。そこから転落した人間は犬のように生きるか、犬のように死ぬしかない。
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引き裂かれた半島に対する想いを描くという点では、『コースト・ガード』(過去記事)と通じるものを感じた。ただ、『コースト・ガード』ではみられなかったアメリカに対する複雑な想いがこの作品の主軸になっている。怒りや憎しみ、そして悲しみが入り混じることで生まれる複雑な想い。その想いの向かう先は定かではない。チャングクの母親が送り続ける手紙に、その行き場のない想いが凝縮されているのだろう。
今回新作を観て思ったのは、やはり『受取人不明』の頃とは作風が変わっているということです。私は『受取人不明』が大好きですが、それとは違った趣が新作にはあります。お時間があれば是非。
もちろん『うつせみ』は観る予定です。事前にこの作品をチェックしておこうと思ってレンタルしたんですが、正解だったようですね。
仰るとおり、作風は変化していると思います。それはたぶんギドク監督と社会の関係が変化したからなんでしょうね。社会から評価を受ける、あるいは受け入れられるようになると、やはり作品の風合いも変わるということなんでしょう。
実は、『うつせみ』を明日にでも観に行こうかと考えているところでした。明日ではなくても、近々に観に行く予定です。もうチケットは手元にあるんですよ。
確かに監督と社会の関係性の変化があるのでしょう。インタビューなどを読むにつけ思うのは、彼はひたすら、自分の人生や思想を映画という表現に置き換えているんですよね。
「自分は他の誰かとは根本的に違う、だから理解されないのだろう」という彼の基本的姿勢は変化していないのかもしれませんが、今はより何かを肯定したいという思いがあるのではないでしょうか。『うつせみ』からもそのような印象を受けました。
劇場に貼られていたインタビューのひとつを読みました。韓国では批判的な意見が予想以上に多いようですね。ただ、国外での評価が高まるにつれて、風向きは次第に変化しているようですが。
仰るように、彼は態度を変えようとしているようですね。確かにそれを『うつせみ』から強く感じることができました。これから彼の作品がさらにどう変わるのか、という点にも興味があります。とにかく、キム・ギドクからは目が離せません。晩夏に公開される新作についても、今からかなり楽しみになってます。
日本でも、沖縄が同じように、「アメリカ」という存在を抜きに語れないんだけど、こうした、作品として、抉るようなものは出てきていません。
物語の暗喩や、童話や、ドキュメント風のものとしては、あるんですけどね。