2006年03月14日

「うつせみ」 この世界との新たな関係

晴れのち曇り。真冬のような寒さの中、恵比寿でキム・ギドク監督の『うつせみ』を鑑賞。英題は『3-Iron』。観客は20人ほど。

3-iron06.jpg硬化する世界は母性を傷つけ、その自由を奪い、この世の片隅へと追いやってしまう。女性の彫像に向けてゴルフ・ボールが撃たれる冒頭のショットには、この傷つけられる母性のイメージが投射されている。そのゴルフ・ボールを撃つのはソナの夫であるが、彼の振る舞いはやはり父権的、男根主義的である。彼はソナに暴力をふるい、豪奢な家の奥に閉じ込める。右目のまわりを赤く腫れあがらせたソナは、やはり傷つけられた母性の姿をあらわしているのだろう。

そして、傷つけられたソナは、テソクという青年と出会う。留守宅だと勘違いしたテソクが、ソナの家に忍び込んでしまったのだ。テソクはソナの存在に気づき、彼女が負っている傷を癒そうとする。

*****

ソナとの出会いがきっかけになって、テソクの振る舞いは次第に変化していく。当初は彼もゴルフクラブ(3-Iron)を手にしてボールを撃っていたのだが、その標的となったのは、ソナの夫であり、巨大な集合住宅であり、国家権力であった。彼の標的は一貫している。母性を守り、その傷を癒すために、テソクはこの硬質な世界と対立していたのだ。しかし、その態度はやがて改められる。彼は対立することをやめ、この世界の壁をすり抜ける術を身につけようとするのだ。この対立とも融和とも違う、新たな関係を獲得することによって、ソナとテソクの運命は大きく変わっていく。

ラストで描かれる奇妙な三角関係には、キム・ギドク監督を取り巻く現在の状況が投射されているのかもしれない。彼が作風を変化させた背景の、その断片が、この作品の中に散りばめられているような気がした。創作に対する彼の情熱に変わりはないのだろう。おそらく、社会に対する彼の心情にも変わりがないのだと思う。ただ、それを他者に投げかけるときの態度が変わったのだ。そして、彼と社会の関係にも何かしらの変化があったのではないだろうか。

*****

前作の『サマリア』、そしてこの『うつせみ』を通して、漠然と”母性”という言葉を連想したのだけど、ソナの姿を眺めながら、その母性が朝鮮半島と深く結びついていることを感じとることができた。傷ついたソナの顔が『受取人不明』(過去記事)のウノクの顔と重なってみえたのだ。考えてみると、それは当然のことのようにも思える。

あの半島は南北に分断され、その南側に位置する社会は西欧化を推し進める。その変化は大きな富を生むが、おそらくその一方で、かつて存在していた何かを消し去ってしまったのだ。この社会から消えうせようとしている大切な何かを、キム・ギドク監督はこれからも描き続けるのだろう。今後も彼の作品には注目していきたい。


posted by Ken-U at 23:11| Comment(11) | TrackBack(14) | 映画(キム・ギドク) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
早速観られましたね。

キム・ギドク作品において、確かに“母(性)”は重要かもしれませんね。彼の映画で母が登場したのは『受取人不明』と『春夏秋冬そして春』だったように記憶していますが、その他の作品でも、女性に母的な何かが投影されていたようにも思えるので。

『うつせみ』はある種のファンタジーですが、テソクが警察に捕まり刑務所に入ったときに見せるあの挑発的な微笑みには、今なお続くギドク的な怒りが込められていたのではないでしょうか。

テソクが霊的存在へと飛翔していくあたりは、まさにギドクにしか描けないような寓話性があって非常に興味深かったです。

私もKen-Uさんと同じく、今後も彼には注目していくことになるでしょう。
Posted by [M] at 2006年03月15日 14:16
さっそく観ました。とてもいい作品でした。客入り以外は満足しましたよ。

あの刑務所でのやりとりは印象的でした。仰るとおり、ギドク的な怒りは今も変わらずぐつぐつと煮えたぎっているような気がします。ただ、繰り返し殴られながら、その怒りをあのようなかたちに昇華させるんですよね。その様子が、彼の作風の変化と繋がっているように思えて、とても興味深く感じられました。

キム・ギドクのような作家と出会えてよかったなと思います。さらに、彼が韓国人であることで考えさせられることも多いです。いろんな意味で、ぼくにとって貴重な存在だと思っています。
Posted by Ken-U at 2006年03月15日 19:06

こんにちは。
私はキム・ギドク作品を観て、"母性"に対する想いというものを特別に感じたことはなかったので、へぇ〜と思いました。男性の捉える「母性」と私が感じる母性的なものが違っているのかな。ああ、でも、父権的なものに対してということであればわからなくはないです。
『拘束のドローイング 9』を私も先日観たのですが、「うつせみ」の主人公2人の静かな動きから、そのマシュー・バーニーとビョークの様子を思い出してしまいました。なんとなく。
次回作も楽しみです。
Posted by かえる at 2006年03月16日 14:52
20人程度でしたか。少ないですね…
あまり盛り上がっていないのでしょうか。
ブームになるような作風ではなく、
流行化されても困るのですが、
あまり入ってないと少し悲しかったりするファン心理。
何があろうとも注目していきたいです。
Posted by 現象 at 2006年03月16日 16:30
>>かえるさん、

ぼくは男性なので、軽々しく「母性」という言葉をつかってしまうんだと思います。他に適当な言葉が見つからなかったんで、このような表現になってしまったんですが。
「母性」といっても、それが必ず女性と繋がるというわけでもないと思います。この『うつせみ』のソナは女性の姿をしていますが、必ずしも女性そのものを表現しているわけでもないというか。ちょっとわかりづらいですね。うまく簡潔に説明することができません。

『拘束のドローイング 9』も言葉が少ない作品でした。だから余白が多く感じられていいんですよね。この『うつせみ』も、たしかにそれと同類のよさが感じられます。こういうのは好きです。

>>現象さん、

20人前後の客入りというのは嘆かわしい現実です。平日だとしても、もう少し入ってもいいのではないかと思います。観客の平均年齢も高く、いわゆる韓流の流れから観に来ている女性も目につきました。若い人が少ないのは嫌韓ということなんでしょうかね。
Posted by Ken-U at 2006年03月16日 19:19
Ken-Uさん、こんばんは。いつもTB&コメントありがとうございます。
ソナとテソクの微笑みも、母性的なものを感じさせましたね。
やはり『サマリア』を一歩押し進めたのが『うつせみ』であるように思います。
キム・ギドク作品としては、登場人物が殺人を犯さないのも初めてではないでしょうか。
このあたりにも、相当な作風の変化が見られます。
次回作『弓』の公開も非常に楽しみですね。
Posted by 丞相 at 2006年04月07日 23:36
丞相さん、こちらこそありがとうございます。

そうですね、この作品には『サマリア』を一歩進めたという要素があるのかもしれません。少なくとも、現在のキム・ギドクの心情が素直に投射されているんだと思います。次作、『弓』もかなり楽しみにしてます。
Posted by Ken-U at 2006年04月08日 20:43
TBありがとう。
この母性の解釈と、テソクの行動変化の解釈は、とてもいい指摘ですね。ソナが執拗に、ゴルフボールの前に立ち、邪魔をすることもわかります。
また、唯一、安心できる寺院風の民家は、やさしい若夫婦のたたずまいとともに、母性があふれた包み込むような空間でしたものね。慧眼です!
Posted by kimion20002000 at 2006年10月24日 02:32
kimonさん、こちらこそコメントありがとうございます。

あの寺院風の民家が漂わせる雰囲気はとても気持ちが安らぐものでした。あと、あのシーンで最も印象に残っているのは「水」の描写です。とくに、瓶に張られた水の美しさ。思わず、自分が「水」に飢えていることに気づかされたような気がしました。
Posted by Ken-U at 2006年10月25日 00:31
Ken-Uさま、こんにちは。TBさせて下さい。
う〜ん、母性ですか・・。深い洞察ですね。
確かに、ネット越しにゴルフボールが彫像に向かって打たれる導入部は非常に印象的でした。
情熱や心情に変わりはなく、態度が変わった。これも納得です。
今後も遅ればせながら観続けたい作家ですね。
ではでは。
Posted by 真紅 at 2007年03月10日 05:31
真紅さん、こんにちは。

キム・ギドクの作品には、母性というか女性性というか、母なるものへの想いみたいなものが強くにじみでているような気がします。そしてその想いは、彼の故郷である朝鮮半島と繋がっているのでしょう。でも、彼の作品は韓国でいろいろと物議をかもしてるみたいですね。

ギドク作品は、ぼくも観続けると思います。
Posted by Ken-U at 2007年03月10日 18:51
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