2006年03月25日

ロダンとカリエールが描く境界

曇り。上野。国立西洋美術館『ロダンとカリエール』展。6月4日まで。

オーギュスト・ロダンとウジェーヌ・カリエールの交流を軸に、その表現を比較しながら、根底に流れる感覚の共通性を探る展覧会。

rodin_et_carrier01.JPG

20代の頃、パリのロダン美術館に2度ほど足を運んだことがある。こじんまりとして居心地のいいところだった。ロダンというと、「考える人」くらいの知識しか持ってなかったのだけど、美術館で実際に作品を眺めてみて、その印象がずいぶんと変わったことを今でも憶えている。とくに印象に残ったのは大理石による作品群で、白く滑らかな肌をした人間の身体が、その輪郭を曖昧にしながら背景や台座と溶けあっていたり、男女が抱き合いながら混ざり合っていたりする様子がとても官能的に描かれていた。その時の印象を蘇らせてみたいと思い、午後の上野をぶらついてみた。

ロダンとカリエールは1880年頃に知り合って以来、カリエールが亡くなるまでの間、同朋として親交を深めながら互いの創作活動に影響を与え合った。ロダンはカリエールの創作に対する姿勢を近しく感じていたようで、その作品を絵画ではなく彫刻であると評していたようだ。彼らは共に、目にみえる事物の表層ではなく、その奥に潜む「内なる生」を表現しようと努めた。その態度は同時代の象徴主義の芸術家たちに共感を与えていたのだという。

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カリエールによる作品の背景はとても暗く、人間が闇の中からぼんやりと浮き出るように描かれている。あるいは、人物の輪郭が曖昧になりながら闇と混ざり合っているようにもみえて、その点はロダンの作品から受ける印象と通じるものが感じられた。

ふたりの作品の中で繰り返し描かれているのは、この世界の向こう側(自然界)からもたらされる何かを受け取ろうとする人間の姿であった。思考や瞑想によってインスピレーションを得ようとする人物(「考える人」など)や、向こう側の世界との媒介として存在する女性の姿などが数多く描かれていた。

やはり女性は自然界と強く結びつく存在として捉えられている。そのイメージは、この世に生命をもたらす母親であるとか、あるいは逆に、その魅力で男性を誘惑し、闇の世界の中へと引きずり込もうとする魔性の女として表現されていた。とくにカリエールは母親や母と子の関係に固執している。それは彼自身が子供を亡くしていることが影響しているらしいけれど、その他にも何か要因があるのかもしれない。

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1時間ほどで鑑賞できる展覧会だった。ロダンもカリエールもよかった。駆け足で常設展も眺めたのだけど、モネがよくみえた。オルセーにも行ってみたくなった。


posted by Ken-U at 01:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。

私もロダン・カリエール展に行ってきました。
カリエールの絵画、ロダンの彫刻ともに素晴らしかったです。
特にカリエールの絵画には強く引きつけられるものがありました。

これからも面白いBlog期待しております。
Posted by zero at 2006年03月29日 11:25
zeroさん、コメントありがとうございます。

カリエールの絵画は引きつけるものがありましたね。とても面白い展覧会だったと思います。
Posted by Ken-U at 2006年03月30日 18:40
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