原題『MANHATTAN』
TVの構成作家をしていたアイザックは、ある日突然、スタジオを飛び出して自分のキャリアに終止符を打つ。もううんざりしてしまったのだ。馬鹿馬鹿しい。彼は小説家としてデビューすべく、執筆にとりかかるのだった。
モノクロームのマンハッタン。夜空に浮かぶ摩天楼の姿がとても魅力的に描かれている。そこにはウディ・アレンのその街に対する想いがこめられているのだろう。しかし、そこに色彩はない。さらに街に近づき、その細部に光を当てて眺め直すと、魅惑的な摩天楼とは異なるマンハッタンの姿が浮かび上がってくる。乾いていて、麻薬や暴力、そしてゴミが溢れかえる街。そこで暮らす人々の心はどこか歪んでいる。彼らは自由を謳歌しているようにみえるが、何かに弄ばれているだけのようでもある。メリーはいかにも”マンハッタン的”魅力に満ちた女性である(フィラデルフィア出身のおそらくクエーカー教徒という設定、その意図はよく解らない)。最初、知的エリートを気取った鼻持ちならない女として彼女は現れるが、同時に捨てがたい魅力も携えていて、アイザックはその複雑な性格に魅了されてゆく。そして、彼はそれまで付き合っていた、まだマンハッタンに染まりきれない17歳のトレイシーを棄て、メリーを選ぶことを決意する。が、メリーはあまりに”マンハッタン的”であるがゆえに、すぐに身を翻してアイザックの許を去ってしまう。アイザックは、自分が致命的な過ちを犯し、大切なものを失いつつあることに気づいて、その修復のために全身全霊をかけて走るのだった。
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アイザックとメリー、トレイシー、そして彼の友人であるエール(次々に車を買い換える男として描かれている)との間で起こる恋愛劇。きっと、アイザックの目にはメリーが身勝手な女として映っているのだろうけれど、おそらく彼女はアイザックの姿を映す鏡に過ぎないのだろう。メリーだけではなく、アイザックを囲む人たちはすべて彼の鏡であるように感じられる。ただし、まだ未成熟なトレイシーを除いては。そしてアイザックは鏡に映る自分自身の姿に右往左往したあげくに、己の愚かさを思い知るのだ。愚かなアイザックはやはり”マンハッタン的”である。
独善的な中年男のほろ苦い恋。ラストでトレイシーをみつける時に流れるのは"BUT NOT FOR ME"で、これがまたほろ苦い。『僕のニューヨークライフ』(過去記事)はこの作品の延長線上にあるのだと思う。



そうですね、この映画は、マンハッタンという街を舞台に、そこにうごめく愛憎劇を上手に描かれていましたよね。それと、ぼくも「僕のニューヨークライフ」を見たのですが、これは本作の延長線上にあったのですね。
この作品は好きです。といっても、観たのはずいぶん前なのですが。TBをいただいたおかげで自分の文章を読み返すことができ、当時、自分はこんなことを感じながらこの映画を観てのかと不思議な発見がありました。「僕のニューヨークライフ」と本作の繋がりについてもすっかり忘れてました。なので、すみませんが、本当に繋がりがあるかどうかはわかりません。