2006年04月01日

「人類最古の哲学」 片方の靴を失うシンデレラの謎

中沢新一著『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュT』講談社選書メチェ

中沢新一氏による講義録、全5冊。その第1冊を再読。神話を人類史上最古の哲学として紐解き、その独自性と内部に抱え込まれた矛盾を明らかにしながら、「哲学」という言葉に野生の生命を回復させようとした思考の冒険。

cahier_sauvage01.jpg「人間ははじめにしか本当に偉大なものは創造しないものです」と中沢氏はいう。その「人間のはじめ」とは、現生人類(ホモサピエンス・サピエンス)が現れた三万数千年前にまで遡る。それまでの動物や原人とは異なり、前頭前野(過去記事)を高度に発達させた現生人類は、それまで地球上には存在しなかった特異な思考回路を獲得し(その回路は「心」と呼ばれている)、脳内に蓄積した知識を神話というかたちに組織化できるようになった。これが人類最古の哲学である神話の成り立ちである。

『あらゆる神話には、ひとつのめざしていることがあります。それは空間や時間の中に拡がって(散逸して、とでも言いましょうか)、おおもとのつながりを失ってしまっているように見えるものに、失われたつながりを回復することであり、互いの関係があまりにバランスを欠いてしまっているものに、対称性を取り戻そうとつとめることであり、現実の世界では両立が不可能になっているものに、対称性を論理的に探り出そうとすることです』(p.25)

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異界をつなぐ燕石

takaragai04.jpg「燕石(えんせき)」が神話の世界への入り口となっている。日本で燕石の話がはじめて登場するのは『竹取物語』である。「結婚したがらない女」であるかぐや姫は、結婚を求める男に対し、燕石をみつけてくれたら結婚する、という条件をだす。男は家来に燕の巣を漁らせるが、みつけることができない。かぐや姫は結局すべての求婚を袖にして、超越的世界(月)へと去ってしまう。このような、「結婚したがらない女」を題材にした神話は環太平洋に広く分布している。女は同族と結婚する「族内婚」を拒み、熊や狐、あるいはシャチなどの異界の動物たちと結婚してしまうのだ。彼女たちは人間の世界の中に繋がりを見出すことができず、異界の彼方へと立ち去らなければならなかった。

燕石とは、燕が海から運んできて巣に置くという子安貝などの貝や石の総称である。燕石は縄文時代から安産の守り神として珍重されていた。燕が精力絶倫の動物だとされていたこと、また燕は冬と春、海と陸という異界を繋ぐ生き物だとされていたこと、燕石によって親鳥が雛の目の病気を治すと思われていたこと、鳥の巣漁りをするときの手触りが性的な感覚とよく似ていることなどから、燕石が女性の安産と繋げて考えられるようになったようだ。かぐや姫は、この燕石をみつけることができれば、その不思議な力によって自分と男が結びつけられるのだと言いたかったのだろう。ここで燕石は、引き裂かれたものをつなぐ為の媒介として捉えられている。このような燕石をめぐる伝承もまた、ユーラシア大陸に広く伝えられている。

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豆を嫌うピタゴラス

異界をつなぐ媒介は燕石だけではない。神話には狐やカラス、熊などが媒介者として多く登場する。そして豆も強い媒介機能を持つとされている(死の世界との媒介としての豆は、日本でも節分の豆まきやお彼岸のぼた餅としてその機能が保存されている)。豆は、男性の性器における睾丸、そして女性のクリトリスを表象する両義的な存在として、男女の性をつなぐ媒介であると考えられていた。また、生命に近い食べ物である穀物と対立して、死に近い食べ物であると見做されていたのだ。

両義性を備える豆を嫌ったという歴史上の人物が紹介される。異界をつなぐ媒介者を好んで描く神話の世界とは対照的に、豆や燕を思考の領域から排除しようとした人物としてピタゴラスが挙げられている。彼は自分の教団の掟として、そら豆を食べてはならない、家内の燕の巣は排除しなければならない、と取り決めていた。彼は何故そら豆や燕を排除しなければならなかったのか。ピタゴラスの掟とその思想との関連性や、純粋性を追求する彼の価値観が西欧の形成に大きく影響したことなどが指摘されている。

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死の刻印とシンデレラの靴

そして人類的な神話としてのシンデレラ物語が紹介される。これも有名なシャルル・ペローの童話だけではなく、ユーラシア大陸全土で様々な異文が語られているのだ。そのシンデレラたちは灰やかまどなどの異界との媒介と近しい存在であり、ほかの様々な神話的媒介を結集して、引き裂かれた世界(社会的地位の高低、男と女など)をつなぎ直そうとしている。本書ではグリム兄弟のシンデレラ、ポルトガル版『かまど猫』、そして最古のシンデレラとされる中国の『酉陽雑俎』などがとりあげられている。

その異界とつながるシンデレラは、何故片方の靴を失くしてしまうのか。この謎を紐解くために、跛行する男の物語である『オイディプス神話』や、足を引き摺る人間が死霊を表すという古い伝承などが紹介される。片足が不自由な人間は大地(母性)から独立できない存在であること、つまり人間は大地に属していながら、それを否定しつつ帰属するという矛盾した存在であることを神話は表現しているのだ。シンデレラが片方の靴を失い、足を引き摺りながら歩くのは、彼女が死者の領域に足を踏み入れていることを意味している。彼女は生と死の領域をつなぐ存在として描かれているのだ。シンデレラの物語には、人間の経済的な欲望が込められる一方で、神話的な媒介の物語が重層的に紡がれている。

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「竹取物語」や「シンデレラ」といった、古くから伝わる馴染み深い物語の中に神話的な要素が隠されている。その神話の領域に足を踏み込み、物語を眺め直してみると、それまで抱いていた物語に対する印象は大きく変化する。おそらく、現在もこのような神話的思考の残骸が表象の断片となって、映画や小説、さらにはゲームの中などに散らばっているのではないだろうか。散り散りとなって消え去ろうとしている神話的思考の断片が発掘され、再び繋ぎ合わされることによって、我々は三万数千年前から今に続く大きな物語の只中に身を置いていることを知らされるのだ。この時空を超えた思考の冒険は、未来における対称性回復の足がかりになるのかもしれない。


posted by Ken-U at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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