2006年04月18日

「勝手にしやがれ」 近代の自由恋愛と死

ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』。原題『A BOUT DE SOUFFLE』

近代の大都市パリに放り込まれたミシェルは、束縛を嫌い、どこまでも自由を求めるアメリカ女パトリシアに熱を上げ、そして破滅する。

a_bout_de_souffle01.jpg”海が嫌いなら
山が嫌いなら
都会が嫌いなら
勝手にしやがれ”


この作品を初めて観たのは20年ほど前だったと思う。当時住んでいた街の劇場で、この作品と『気狂いピエロ』がリバイバル上映され、その企画に足を運んだことを思い出した。当時、世間はバブル景気に沸いていて、ぼくはとにかく不機嫌だった。その頃の気分とこの2作品は、ぼくの心の中で妙にマッチしたのだった。それ以降も数回この作品を鑑賞しているけれど、30歳を過ぎてからは初めての鑑賞になると思う。

序盤で印象的なのは、ミシェルがひとりでパリの街を歩いているシーンで、彼が交通事故の現場に遭遇するところだ。ミシェルは目の前に転がっている死体の脇に腰を下ろし、それから軽く十字を切って、無感動にその場を立ち去る。ミシェルは突然の死に対する恐怖心を持ち合わせてはいない。彼は自分の運命をすでに受け入れているのだ。ミシェルの運命は、その交通事故の直前に映し出される"Vivre dangereusement jusqu’au bout!(地獄へ秒読み)"のポスターによって暗示されている。というか、さらに遡れば、この物語の冒頭でミシェルが田舎から都会へと移動すること、移動の際に「太陽は美しい」と呟くこと、そして拳銃を手に取ることなどから、既に彼の運命は決定されていたのだといえるのだろう。死を運命づけられたミシェルは、アメリカ女のパトリシアに惹かれ、そしてパトリシアはミシェルを死へと導く。破滅的な近代の恋愛がとても魅力的に描かれていると感じた。

*****

久しぶりの鑑賞で、その間、ぼくもそれなりに年を食ってしまったけれども、思いのほかこの若い作品を楽しむことができた。ジーン・セバーグはやはりハマリ役で、とても美しく撮られており、彼女を中心として交わされる、というか、交わされずにすれ違い続ける会話のやりとりにも惹かれるものがあった。男は自分が破滅に向かっていることが理解できはいるが、決してそこから抜け出ることはできない。閉塞状況の中、湧き出る感情は複雑に入り混じりながら男を疲弊させるが、彼は最期の時が訪れるのを待つしかない。
posted by Ken-U at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(フランス) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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