2006年05月07日

「芸術人類学」 野生の野を開く鍵

art_anthropology.jpg中沢新一著『芸術人類学』(みすず書房)

今から数万年の昔、我々現生人類の祖先はアフリカ大陸を抜け出し、三方に分かれながらユーラシア大陸を移動した。西方に向かったそのうちひとつのグループは、ピレネー山脈の麓付近に留まり、そこで新しい生活を開始したのだった。彼らはその営みの中で、ある聖なる儀式を執り行っていたのだという。その痕跡は、動物や人物などを描いた洞窟内の壁画として今も残されている。

洞窟の中ではある種の通過儀礼が行われていたようだ。月や太陽の光が断たれた暗闇の中で、人類の祖先は何を目にしていたのだろうか。現生人類の脳は、外界からの情報を一切遮断してしまうと、脳内で流動している内なる映像を暗闇の中に浮かび上がらせようとする。おそらく、彼らはその暗闇の中で、自身の内部で蠢く”流動する心”と対峙し、その心の奥底から湧き出てくる映像をすくい取ることによって、超越性を備えた内なる野生の領域へと迫ろうとしていたのだろう。この真の暗闇の中で執り行われた聖なる儀式が、人類による芸術と宗教の原初のかたちとなったのだ。

中沢氏は、この人類が今も抱える”流動する心”を土台にした新しい人類学の構築を試みようとしている。それは、「野生の思考」を主題に据えたレヴィ=ストロースの構造人類学と、非知の働きを現生人類の心の本質として見出したバタイユの思想、このふたつの思想を結合した先に立ち現れる未知の思考の領域を開くためのものであるという。

『私たちは人類がまだ、自分の心の奥に野生の野を抱えていて、いまではすでに失われてしまったように思われている、その野を開く鍵を再発見することがじつはいまでも可能であることを、確実な仕方であきらかにしてみせたいのです。現代においてはめったに見られなくなった無謀な企てに、私たちは乗り出そうとしています。「芸術人類学」の守護神は、それゆえドン・キホーテその人です』(p.26)

重層的に発達した脳の中に肥大化した前頭前野を抱え込んでしまっている現生人類は(過去記事)、その”呪われた部分”の働きによって、高次元的に流動する自由な心を備えるようになった。その内側に”超越的な何か”を抱え込んでしまっているのだ(人類はその超越的な何かのことを、しばしば”神”と呼ぶ)。人間の立ち振る舞いが妄想的で、どこか過剰なところがあり、神の名の下にしばしば狂った行動をとってしまうのもおそらくこのためなのだろう。

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思ったよりも書下ろしが少なかったけれど、並べられた言葉は刺激に満ちたものだった。やはりぼくは、「すでに大きな物語は終わっている」などと唱えながら何かに蓋をし、既得権益の残骸にしがみつこうとすることよりも、その蓋を外す、というか、この均質な空間の底に抜け穴をつくり、その先で荒々しく蠢いている野生の領域に接近しながら、この社会と何かしらの繋がりを保とうとすることの方に心惹かれてしまう。

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以前このブログでとりあげた『十字架と鯨』(過去記事)が本書に収録されている。また、ページ右の"LINKS"からリンクを張っている「芸術人類学研究所」のサイトの中に、本書に収められている文章の一部が掲載されている(VISION:「芸術人類学とは何か」)。


posted by Ken-U at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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