2006年06月04日

「石田英一郎の夢」 水界の幼子と母のイメージをめぐって

芸術人類学研究所 開所記念シンポジウム
『石田英一郎の夢 ―芸術人類学研究所の旅立ち―』

土曜日は終日曇り。八王子まで足を伸ばし、多摩美術大学でおこなわれた芸術人類学研究所のシンポジュウムに参加した。開設以来、初のシンポジュウムとなる。入場は無料(先着300名まで)。

ishida_eichiro060603.jpg前回のイベント(過去記事)ほどは賑わっていなかったけれど、それでも会場の座席はほぼ埋まっていたと思う。シンポジュウムは中沢新一氏の挨拶に始まり、続いて吉田禎吾氏(東京大学名誉教授)、小松和彦氏(国際日本文化研究センター教授)の講演、その後、鶴岡真弓氏を加えた4名による討論という内容だった。ぼくは石田英一郎についての知識が全くなかったのだけれど、それでもこの濃密な時間を自分なりに楽しむことができた。

石田英一郎氏はこの国の文化人類学の創始者であり、多摩美術大学の第2代学長であった(あと、治安維持法の逮捕者第1号でもある)。学長就任後、彼は多摩美を拠点として様々な芸術や学問を総合した文化人類学の新しい研究を構想したが、就任からわずか半年で急逝。中沢氏の挨拶によると、かつて石田氏により構想された研究のコンセプトと芸術人類学は、深いレベルで繋がり合っているのだという。

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このシンポジュウムで紹介された、石田氏による桃太郎や一寸法師の研究はとても興味深いものだった。

昔話にしばしば登場する、桃太郎や一寸法師などの「水辺に現れる子供(あるいは童形の小人)」は、古くから伝わる河童という妖怪のイメージと繋がっており、また、これらのイメージは、水神の成れの果てと考えることができる。さらに、桃太郎や一寸法師の側には母のイメージが寄り添っていて、これは旧石器時代から伝承される「水神と母」という母子神信仰と繋がるのだという。旧石器時代の「母と水神」というイメージが、時代を下るにつれて、「牛と水神」、「馬と水神」と移り変わったというのだ。

馬は水神に生贄として差し出されていたが、人間がそれをしなくなったために、水神は河童に姿を変えて、馬を水界に引きずり込もうとする。それを「河童駒引」というのだが、同じような伝承は、中国、蒙古、カシミールなどからヨーロッパに及ぶユーラシア全域で発見されている。

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ほかにも、古代ヘブライ人と通じるアフリカ・マサイ族の世界観であるとか、17世紀の日本でみられたマリア観音(マリアのイメージと観音様が結合されたもの)、琉球に伝わる「赤い小人」の伝承とアメリカ・インディアンの繋がり、セーヌ川などヨーロッパ各地の川の流域に伝わるエポナ(馬の女神)のイメージ、GODIVAのチョコレートに刻まれる「馬と女神」の表象などなど、「母と子」、そして「豊穣」というイメージを起点として、旧石器時代から世界各地に広がる様々な表象について話題はめぐり、その断片を拾うだけでもよい刺激になった。

討論の最後に、牛のイメージがなぜ馬に変わったのか、という話題でひとしきり盛り上がっていた。馬の持つスピード感にその理由があるのかもしれないという話が出ていたけれど、そのやりとりを聞いていて、ぼくは熊本のボシタ祭りのことなどを思い起こし、馬といえばペニス(巨根)だなあ、などと下ネタに想いをめぐらせてみたが、そこから先に想いを進めることはできなかった。まずは『河童駒引考』を読んでみたい。

(関連記事:「河童駒引考」 家畜と交わる水の神とは/2006/07/03)
posted by Ken-U at 12:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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