2011年05月15日

「悲しみのミルク」 即興の歌、その儚さ

クラウディア・リョサ監督 『悲しみのミルク』 (ユーロスペース)

原題 『LA TETA ASUSTADA』

la_teta_asustada.jpg母が受けた痛み。娘はそれを母乳からを受け継いだと信じている。

以前、人文系の本を読んでいた頃、遠い昔の人たちは常日頃から歌うように語り、踊るように振舞っていたのだろう、詩の世界がもっと身近なところにあったに違いない、などと勝手な空想をしていたのだけれど、この『悲しみのミルク』の冒頭部分を眺めていて、ふとその頃のイメージが蘇った。そしてその幻がスクリーンに重なって、溶けていった。本作の舞台であるペルーでは、いまも人々の胸の中に詩の心が残されているのかもしれない。すでに都市部からは消えうせているとしても、山村ではわずかながら残されているのではないだろうか。だから彼女は語るように歌え、自分が抱える恐怖は実母の母乳から伝染したのだとかたくなに信じることができるのだろう。

この世界が抱える問題をそのまま提示するのではなく、歌にくるんで哀しい大人のおとぎ話に仕立て上げたところにこの作品の魅力がある。哀しみに押し潰されないため即興で歌う貧しき娘、そしてその歌を鍵盤を操ることで盗みとり「作品」に仕立て上げて喝采を浴びる富める女。隔てられた二つの世界に暮らす女が対比されながら、しかしダルデンヌ作品と同じく、なにも終わらぬまま結ばれるエンディングにも共鳴した。湧きでる歌のほかに、この世界に救いはあるのだろうか。
posted by Ken-U at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(その他の国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。