横浜の街頭に女は立ち続けた。その顔はおしろいで厚く覆われ、からだを包むドレスは純白であった。白ずくめの彼女は「メリー」と呼ばれた。ハマのメリーは、娼婦として戦後半世紀を生き抜いてきたのだ。その彼女が、1995年の冬、横浜の街から忽然と姿を消した。
カメラはこの国の戦後を辿る。メリーさんは大戦中に父親を亡くしたことがきっかけとなって、終戦直後に故郷を離れ、進駐軍の将校を専門とする、いわゆる”パンパン”となった。その後、彼女が横浜に辿り着いたのは、高度経済成長期の60年代半ば、”戦後が終わった”年の少し前のことである。しかし、彼女の”戦後”はまだ続いていた。組織に属さず、独立した街娼として、彼女は独り横浜の街角に立ち続けたのだ。そしていつの頃からか、彼女は「ハマのメリー」と呼ばれるようになった。その後、周囲の人々の証言によって、姿を消したメリーさんの人物像が少しずつ浮き彫りにされていく。その中心となるシャンソン歌手の永登元次郎さんは、メリーさんの息子のような、弟のような存在であった。
このふたりを結びつけたのも、あの戦争の傷跡である。彼もまた、大戦で父親と離別したため、母親と兄弟の3人で生き抜くことを強いられてきたのだ。彼の母親は、当時、水商売を営みながら息子たちを育てた。しかし、まだ未熟であった元次郎さんは、母親の生き方に受け入れがたいところもあって、彼女を口汚く罵ったこともあったという。その時に元次郎さんが吐いた言葉は、彼の母親だけではなく、彼自身の心にも深い傷をつけてしまった。それから月日は流れ、後悔を抱えたまま晩年を迎えた彼の前に、ハマのメリーが現れたのだ。元次郎さんは、ハマのメリーに実母の面影を重ねた。
このふたりの人生には、この国の「戦後」が凝縮されている。戦争は多くの娼婦を生みだしたが、その後、「もはや戦後ではない」という宣言がなされ、社会が裕福になるにつれて、この穢れた者たちに対する人々の態度も変わっていく。そうした社会の移り変わりの中で、メリーさんの居場所も少しずつ狭まっていくのだ。そしてついに、横浜の街は、存在そのものが戦争の傷跡であるハマのメリーを消し去ってしまう。
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終盤、再会のために、末期癌に冒された体に鞭を打って、元次郎さんが旅立ち、そして「マイ・ウェイ」を熱唱するところまでの流れがとても素晴らしかった。
病室の空のベッドが映し出されて、それから列車の窓へとカメラが移り、その先を延々と、尽きることなくどこまでも伸びる線路が映し出される。元次郎さんは、この世の果てでメリーさんと再会し、力の限りを尽くした「マイ・ウェイ」を歌う。その想いの塊を、メリーさんは凛とした佇まいをもって受けとめるのだ。その美しい魂の交歓を捉えたショットは、おそらく映画には表せない類のもので、たぶん、これはドキュメンタリーの真骨頂といえるものではないかと思う。そして彼らはカメラに別れを告げ、この世界から消え去っていく。



メリーさんも、お亡くなりになられたと聞きましたが、いまごろ、あの世で、元次郎さんと一緒だと、いいですね。
メリーさん、お亡くなりになったんですか。それは知りませんでした。彼女はどんな心持ちでこの世を後にされたんでしょう。
ぼくはこの作品を通して、戦争の描き方にもいろんなアプローチがあるんだなと感心しました。とても斬新な戦争映画だったと思います。