様々な神話が生み出された石器時代の昔、現生人類の祖先は自然との共生を維持するために熊との交流を深めた。神話が語るところによると、熊の毛皮をかぶれば人間は熊になることができたし、その逆に、熊がその毛皮を脱ぎ去れば人間になることができたという。自然界の王である熊は、人間の善き友であり、家族でもあったのだ。

神話的な思考をする人々が暮らした集落の中心には首長がいたが、首長は超越的な権力を持たず、交渉と調停の人として振舞った。重要な意思決定は長老たちの話し合いによって決められ、戦争の際は首長とは別の人物がリーダーとなった。超越的な領域に身を投じ、そこから特殊な力を引き出すのはシャーマンの役割であった。しかし、シャーマンは集落の辺境に身を置き、首長に近づくことはなく、互いに距離を保っていた。武将やシャーマンと首長との距離、この距離を保つことが、集落内、そして集落と自然界との均衡を守るために重要視されたのだ。
しかし、その均衡が突き崩される時が到来する。そのきっかけとなったは、鉄の発明である。人間が鉄を生み出し、それを鋳ることで剣を発明したことによって、それまで守られてきた世界の均衡が崩されてしまったのだ。剣によって大きな力を与えられた人間は、自然界と人間界を切り裂いた。そして自らが熊のごとく振る舞い、武将とシャーマン、そして首長を結びつけることによって王となった。王は、集落を強大な国家へと変えた。
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2001年9月以降の講義を収める本書において、中沢氏は、荒唐無稽とも思える神話のエピソードを巧みに引用しながら、国家が根源的に抱える野蛮さを、人間の無意識の領域と繋げることによって炙り出そうとしている。「芸術人類学」(過去記事)という学問になる前の中沢氏の想いや決意は、このカイエ・ソバージュというシリーズの中に、まだ生々しいかたちを残しながら保存されているのだと思う。
5年前の911やそれに続く暴力の連鎖、そしてBSEなどの深刻な社会問題などによって剥き出しにされているこの世界の非対称を、会社復帰後のぼく自身はどう捉えるべきなのか、さらに想いを巡らさなければならない。
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
実は、私は歴史には疎いのですが、神話の里とクニの起源が深く結びつくのはなるほどそうなのだろうなあと思います。鉄の発明とクニの誕生、そして神話の更新(再編?)はひと繋がりだったのでしょう。ご紹介いただいた本も、書店で探してみることにします。情報、感謝いたします。