1945年。北支派遣軍第一軍は、中国の山西省で第二次大戦終結を迎える。しかし59,000人の将兵のうち約2,600人は、武装解除を拒み、中国国民党に合流して共産党軍との内戦を戦う。その4年後、彼ら中国残留兵は日本に帰還するが、政府は彼らを逃亡兵と見做し、その戦後補償を拒む。中国残留は軍の指令によるものだとする元残留兵らは、この政府の見解を不服として軍人恩給を求める訴訟を起こした。その原告団のひとりである奥村和一氏をカメラは追う。

政府が自国民を棄てる、あるいは見殺しにする、という話は、満蒙開拓団や南米の自営開拓移民など、これまで様々なケースが告発されている。しかしながら、おそらく、この国家による自国民殺しはこれからも別のかたちで続いていくのだろう。
ただ、この作品においてとても興味深いのは、国家の野蛮だけではなく、戦争そのものの悲惨さを露わにするために、奥村氏が中国を旅するところである。この作品は、奥村氏があの戦争と再会するためのロードムービーとして仕立てられている。奥村氏は、訴訟のための証拠探しだけではなく、自分が身を置いた戦争とは何だったのか、という問いに答えるために、自身がかつて駐留した中国山西省を訪れるのだ。彼はそこで現地の人々と顔をあわせながら、当時の状況を訊ね、保管資料を閲覧し、かつての軍事施設に足を運んで、当時の日本軍がおこなった蛮行の記憶と再会する。そして、自身がそこで行った殺戮行為をも明らかにしていくのだ。
*****
戦争が悲惨であるのは、戦争は戦争であるがゆえにそこには戦場があり、その戦場では人間の心の中に潜む残虐性が剥き出しにされて、さらにその残虐性によって無数の人々が不合理な死を迎えなければならないところにあると思う。命を奪われる側も、その命を奪う者にとっても、それはとても悲惨な経験であるはずで、実際、その地獄を生き延びた人たちの多くは、その記憶を消し去るため、当時の出来事に関しては口をつぐみがちである。しかし、奥村氏はその悲惨な過去とあえて対峙し、その痛みを映像として記録している。戦後生まれの世代が戦争を語るときに忘れがちな、戦争に伴なうこの深い痛みを、間接的にではあるけれど、この作品を通じて感じることができたような気がする。
私も「蟻の兵隊」観ましたので、こちらにもコメント入れさせてください。
中国に行った場面で現地の人が、よく生き延びたねと感想を語るシーンには戦後60年の時の流れを感じました。あのように語り合うにはこれだけの歳月が必要だったのでしょうか。それにしても長過ぎますが。それでも、彼らの思いに少しでも近づくことが出来て観てよかったと思いました。
あの現地での様子はとても興味深く感じました。現地の人たちの態度が思ったほど敵対的ではなく、もちろん友好的とまではいきませんが、ただ、奥村さんの心が現地で少し和らいだのでは、と思わせる雰囲気でしたね。
ぼくもこの作品は観てよかったな、と思いましたよ。
日本国と戦うために自らの傷をほじくり返し、
自らがつけた傷と面と向かい、
並大抵の人間にはできないことだと感じました。
まねできない。
僕も観て良かったと思います。
無知の知でした。
かつて自らが身を置いた戦場に再び足を踏み入れることは、やはり並大抵の気持ちではできないことなんだと思います。でも結果として、行ってよかったんですよね。
あの旅の過程には感じ入るところが多々ありました。それに、奥村氏の強い眼差し、声、そして年老いた丸い背中がとても強く印象に残っています。
岩波ジュニア新書の奥村さんの話も先日読み終えました。
帰国したあとも「中共帰り」などと言われて相当苦労なさったようです。
60年前の記憶をあれほど鮮明に覚えていること自体驚くべきことなのですが、
資料を探っていくうちに、記憶をよみがえらせたのかもしれませんね。
映画のなかでも、そういう場面がありましたから。
とにかく、自らの過去ときっちりと向き合う奥村さんの姿に心打たれました。
こういうスタンスの戦争映画が日本で作られたことを、何より評価したいですね。
たしかに、資料や自分のかつての足取りを辿っているうちに蘇った記憶があるんでしょう。そういえば、彼が日本兵に戻った瞬間もありましたね。
ぼくも、奥村さんの姿勢には心打たれました。彼の言動には、なにか善悪を超えた魅力があるんですよね。