2005年02月19日

荒木経惟と境界

araki_nobuyoshi12.jpg

境界としての「闇」や「穴」のことを考えていたら、ふと荒木経惟さんのことを思い出した。以前このブログに書いたけれど、ぼくは高校生のときからアラーキーの大ファンだ。

彼のことを知ったのは高校の1年か2年の頃、だからもう20年以上も昔になる。写真好きの友人の家で見つけた「写真時代」という雑誌だ。位置づけが難しい雑誌で、エロ雑誌というか、非エロ雑誌的エロ雑誌といえばいいのか、ちょっと異様な雰囲気を持つ雑誌だった。

araki_nobuyoshi11.jpgアラーキーはその雑誌に「東京日記」という連載をもっていた。掲載される写真は女性の裸ばかりで、女性が大きく股を開いた姿や、その股間をアップにした写真が多かったと記憶している。そこには彼の女性の股間、性器に対する執着のようなものが感じられた。その雑誌を通して初めてアラーキーの写真に触れたぼくは、そこになにか得体の知れないものを感じた。とても欲情することはできない写真だったけれど、妙に惹かれるものがあったのだ。

ここのところ「闇」や「穴」、「悪党」などについて考えをめぐらせていて感じるようになったのは、アラーキーが撮る女性の股間はまさに「境界的な存在」なんだということだ。女性の身体を剥いて、この世の裂け目を露わにする写真。そう考えてみると、ぼくがアラーキーの作品に魅力を感じてしまうのは、作品の中に境界的存在がちりばめられてるからなんだということが理解できる。この世の境界とはとてもエロティックなものでもあって、「性」なるものは「聖」なるものと通じているということなんだろう。

*****

高校時代によく見てた11PMという番組で、この自称天才写真家が自らの「写真」を語っていたのを憶えている。ぼくはそれを観ていて衝撃を受けた。まさに目から鱗というか。それまでの考えでは、写真というものは構図だとか、光と影とか、カラー写真だったら色彩とか、そういう要素を組み合わせながら表現するもんだとばかり思っていた。しかし彼の写真に対するアプローチは違っていて、ぼくの写真に対する先入観はあっさりと覆されてしまった。その時に「アラーキー=天才」という情報が、ぼくの脳内に刷り込まれてしまった。ご自分でおっしゃってるくらいだから間違いはないだろう。

***

アラーキーとは東京で偶然2回ほど遭遇したことがあるけれども、話しかけることはできなかった。激しく緊張してしまい、どうしてもできなかった。

(関連記事:「悪党的思考」 悪党的感性の魅力/2005/02/10)



posted by Ken-U at 17:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 写真(荒木経惟) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

戦後腹ぺこ時代のシャッター音―岩波写真文
Excerpt: 戦後腹ぺこ時代のシャッター音―岩波写真文庫再発見・荒木経惟「東京人生」・「愛しのチロ」 荒木経惟・今年・さとう珠緒のおすすめ情報・「トーキョー・ファッション」 荒木経惟・江戸東京博物館 荒木経惟「東京..
Weblog: みかの記録
Tracked: 2007-10-05 09:29
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。