ぼくは、これまで溝口作品をまともに鑑賞したことがないので、これを機会にいつくかの作品を観てみたいと思っている。できれば、収入もあることだし、劇場で観たい。だからTVで放送されている作品はとりあえず録画しつつ、今後の鑑賞プランを考えているところだ。
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というわけで、今週、まずは2本のドキュメンタリーを鑑賞した。

櫻田明広監督『時代を越える溝口健二』
1898年(明治31年)、東京湯島の瓦ぶき職人の息子として生まれた溝口健二は、17歳で母親を亡くし、その後、いくつかの職を転々とする。その当時は、ある男の妾であった姉の世話にもなったようだ。そして22歳の時、日活向島撮影所に入社し、映画の世界に足を踏み入れる。当初は俳優を目指そうとしていたのだが、製作側に配属され、その後、若干24歳にして監督となった。
溝口の演技指導は、役者を常に極限まで追い詰めるとても厳しいものであったようだ。演出というより脅迫だった、という証言もあるくらい、その撮影現場は緊迫したものであったらしい。いくつもの証言によって浮き彫りにされる溝口健二の実像は、まぎれもなく明治生まれの近代日本男児の姿そのものである。意外に階級意識も高く、官尊民卑的な価値観を持っていたという指摘もある。
しかし、撮影現場では父権的に振る舞う溝口健二も、その作品の中で繰り返し描いたのは社会の下層に生きる女たちの姿であった。その一方で、父親は徹底して醜く描いたという。公私を問わず溝口の視線が下層の女性に注ぎ込まれた背景には、やはり彼自身の生い立ちが深く影響しているのだろうと思われる。取材で彼が吉原の病院を訪れた時、そこで治療を受けている娼婦たちの姿に衝撃を受け、それは男たちが悪いのだという院長の言葉に、涙を浮かべながら自分が悪いと呟いたというエピソードはとても印象深いものだった。
そしてもうひとつ、溝口作品に大きな影響を与えたのは戦争の記憶である。溝口は基本的に悲劇ばかりを描いたけれど、そこには戦争体験に裏打ちされた、生きることに対する緊張感が滲み出ているという。父親との関係と戦争の記憶、どこかしら通じるものが感じられるこのふたつの要素がどのようなかたちで映像化されているのか、それがとても興味深い。
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『時代を越える...』の中で、溝口作品の映像がいくつか紹介されていたけれど、予想していたより映像の劣化は少ないように思えた。それに、長回しのシーンで滑らかに移動するカメラワークに惹かれた。あの映像は、やはり劇場で観るべきなのかもしれない。さて、どうしようか。