2005年01月09日

DISTANCE もどることのない人々の面影

distance.jpg是枝監督の「DISTANCE (ディスタンス)」を鑑賞。気づいたら返却日が明日だった。日々の流れは意外と速いもんだ。

カルト教団の信者として多くの死傷者をだす事件を起こし、その後その教団によって殺された5人の実行犯。その遺族達を中心に物語は進む。

流れる映像と音がゆっくりと心に滲みるという点は他の作品と共通する。これがとてもいい。また、引き裂かれたふたつの世界で離れ離れになってしまう人々を描いている点もほぼ共通してるといっていいと思う。引き裂かれた関係は修復されることがない。残るのは喪失感だけだ。これが是枝監督自身のテーマなんだろう。

残された遺族は殺された5人の遺灰が眠るという湖を訪ねる。山は超越した力(神)が宿る場所だ。湖は向こう側(死者または神の世界)への入り口。その入り口に向ってまっすぐに伸びている桟橋の姿が印象的だ。あの世とこの世をつないでいるように見える。

山を降りようとするとあるアクシデントが起きて帰れなくなる。途方にくれる遺族達。そこに山の中(死者の世界)から元信者の青年が現れ、彼らをかつて信者達が住んでいたロッジに案内する。このロッジで一晩過ごす中で、遺族達は決して自分達の手が届かない世界へ逝ってしまった家族の面影に触れる。


家族のもとを去って教団へと走る人々。何故教団へ向わなければならなかったのか。去ろうとする人々を引き止めることはできなかったのか。そもそも何故そういう教団が必要なのか。問題は観ているものの前に提示される。問題はなにも解決されることなく観ているこちらへ提示され、ゆだねられる。
信仰をめぐるトラブルはいまに始まったことではなく、遠い昔から繰り返し起こっていることだと思う。しかし昔は今よりはるかに日常の中にうまく溶け込んでいたはずだ。宗教の面影を生活の中から極力排除しようとしている現代の日本ではこの問題はより深刻なものになってしまっている。カルト教団はこの歪んだ宗教感を抱える現代社会が生み出しているのかもしれない。


映画のラストである秘密が明かされる。遺族の一人は自分を偽っていた。実は自殺に追い込まれた教祖の息子だったのだ。息子は独り湖へと向かう。桟橋の先で思い出の花を渡し、写真を焼く。その後桟橋にも火をつける。人間を超越した世界へとつながる橋を燃やしてしまうことで息子は父との決別を宣言し、去っていく。
このラストは作者のカルト教団に対するある宣言ともとれる。ただし桟橋を燃やしてしまったとしても解決にはならないのが難しいところだ。それでも山や湖はそこに存在し続けるし、決して決別することはできない。ちょっとラストがしっくりこないかな。扱う素材がかなり難しいので終わらせ方も苦労したのかもしれない。


これを書いてて思い出したのはずいぶん昔、TVで教団の信者とジャーナリストだか誰かがやりとりをしていた光景だ。お互いがお互いに向かって「そっちこそがマインド・コントロールされている」と繰り返し罵り合っていた。ぼくにはそれが合わせ鏡の中で繰り広げられているように見えた。本質的には同じもの同士が映しあい、傷つけあっている光景。当人同士はその事実(?)に決して気づくことがない...

最後は話を映画に戻します。登場人物間で交わされる会話の多くは即興によって組み立てられている。是枝作品の中で会話は湖の波や蝉時雨と同じように自然の「音」として扱われてることをやっと理解した。「幻の光」の時にセリフの聴き取りに神経質になりすぎたのはちょっと違った。自然の音がたいへん効果的につかわれているので音楽がないことは気にならなかった。映像はまたしてもたいへん丁寧でとても美しかった。是枝作品好きにはいい作品だと思います。ぼくはこれで全作品制覇となりました。満足。

(関連記事:「幻の光」 超越した力の存在感/2005/01/04)


posted by Ken-U at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(是枝裕和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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