2006年09月18日

「雨月物語」 女は存在しない

溝口健二監督 『雨月物語』 (恵比寿ガーデンシネマ)

貧しい陶工である源十郎は、自分の陶器を市に出せばそれなりのカネになることを知り、目の色を変える。戦乱の世に商売どころではない、という声には耳を貸さず、義弟の藤兵衛と組み、あまり乗り気ではない妻を叱咤して、戦の間隙を縫いながら琵琶湖を渡り、近江大溝にある市へと向かう。

ugetsu00.jpg貨幣と刀を身につけ、狂う男たちの姿が描かれている。源十郎は貨幣を追い、藤兵衛はそれを足掛かりに武士に成り上がろうと企む。彼らが目指す未来はどこか妄想的で、その妄想を追い求める姿はこの世から浮き上がっているようにみえる。男たちは、貨幣と刀の力によってこの世界を支配できると信じているのだが、実のところは、貨幣や刀の持つ魔力に支配されているに過ぎない。悪魔に憑かれた戦国の世の男は、自身の狂気には気づかぬまま、自ら生み出した妄想をどこまでも追い求めるのだ。

その犠牲となるのは女たちである。藤兵衛の妻阿浜は飢えた武士たちに輪姦された挙句、その背中に貨幣を投げつけられる。その末に、彼女は遊女にまで身を落としてしまう。源十郎の妻宮木は、食い物を奪われた末に槍で刺され、幼い子を背負ったままのた打ち回り、息を絶やす。女たちは男の妄想に殺されていくのだ。その惨さが惨さとして生々しく描かれている。妄想に狂う男たちと殺されていく女、その対比が、本作が描こうとしている最も重要な要素なのではないだろうか。

*****

また、本作では、死霊となった女の復讐も描かれている。物の怪である若狭が、その美貌を利用して源十郎に言い寄り、彼の命を奪おうとするのだ。その様子は、男の妄想に殺され、死霊となった女たちが、この世に若狭を送り込み、妄想にうつつを抜かす男をあの世に引きずり込もうとしているようにみえる。源十郎は恋に落ちた相手がこの世のものではないことに気づき、命拾いするのだが、夢から醒めた時にはすべてが手遅れになっている。もうこの世に女は存在しないのだ。
posted by Ken-U at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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