2006年10月04日

「近松物語」 磔刑の恍惚

溝口健二監督 『近松物語』 (恵比寿ガーデンシネマ)

家の窮状を救うため、おさんはカネと引き換えに京の大経師以春の後妻となった。しかし、怠惰な兄道喜と母おこうはその後もおさんの許を訪れ、カネの無心を繰り返す。おさんは五貫の借金を以春に申し出ることができず、経師職人である茂兵衛に相談を持ちかけ、これがきっかけとなって、ふたりは不義密通の嫌疑をかけられてしまう。その末、家は手代や女中を巻き込んだ大騒動となり、おさんと茂兵衛は以春の許から姿を消すのだった。

chikamatsu_06.jpgこれまで観た2作品と同様、小舟で琵琶湖を渡るシーンが序盤の山場として描かれている。湖の底は死の領域であり、舟が浮かぶ湖面はその入口である。夜の闇の中、ふたりはこの世から離れて死の淵を漂い、その永遠の暗闇を間近に眺める。そして言葉を交わすうちに気持ちが昂り、互いの恋情を露わにする。目前に迫る死の暗闇が、隠されたふたりの欲情を解き放ち、剥き出しにしてしまったのだ。舟は、抱き合ったふたりを乗せたまま、生死の境界をゆらゆらと彷徨う。

ほとばしる欲情は生への執着を生み、おさんと茂兵衛は死の暗闇を遠ざけ、そしてこの世へと舞い戻る。しかし、彼らはそこから再び死の闇へと向かおうとする。ふたりは互いに手を取り合い、離れてはまた駆け寄って、抱き合いながら足を引き摺り、険しい山道をさ迷い歩く。おさんと茂兵衛の性愛が描かれる代わりに、ここでは死に向かうふたりの旅の様子が執拗に描かれている。つまり、この旅は、おさんと茂兵衛の性愛そのものなのである。

*****

性行為自体を描かずにそれを表現しようとする本作のラストでは、磔刑を目前に控えたおさんと茂兵衛が市中を引き回される様子が描かれている。死刑執行前のふたりの姿をひと目みようと、ふたりを取り囲むように無数の野次馬が通りに群がるのだが、ここで以春の家の女中たちは、ふたりがとても幸せそうな表情を浮かべていることに驚く。おさんと茂兵衛の視線はすでに処刑の向こう側へと向けられている。この悲劇は、女と職人をカネと家から解放し、その命を奪うと同時に悦楽の絶頂を与えているかのようにみえる。

演出には巧さが目立ち、抑えが効いていて、『山椒大夫』(過去記事)のような荒々しさはあまり感じられなかったけれど、その演出の表層の下には、『山椒大夫』に劣らないどころか、それ以上の激しさが隠されているような、とても渋みのある作品だった。

(関連記事:「エロスの涙」 われらの狂気を生き延びるために/2006/08/05)
posted by Ken-U at 00:41| Comment(4) | TrackBack(2) | 映画(日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。
ガーデンシネマに結局いけなかったので、
フィルムセンターでの特集で通うことにしました。
溝口作品はまだ2作目です。
小舟のシーンは多く使われているのですね。
チェックして臨まねば。
山間の家におさんを置いて茂兵衛が離れようとし、
気づいたおさんが追いながら「茂兵衛!茂兵衛!」と叫ぶ場面など、
極上のラブシーンに思えました。
…足しげく通って溝口を堪能することにします。
Posted by 現象 at 2006年11月17日 00:32
現象さん、お久しぶりです。

死に向かう旅の過程でふたりがついたり離れたりする様子は、あの『タイタニック』をも連想させる展開ですが、こちらの方がより洗練された作品であるように思います。たしかに、この作品は良質でとてもエロティックなラブ・ストーリーだと思いますよ。
Posted by Ken-U at 2006年11月18日 22:31
お邪魔致します。

レビューを興味深く拝見しました。

湖の件や、「性行為自体を描かずにそれを表現しようとする本作」 という表現に、大いに同感致しました。

ボクも今作のレビューを書いておりますので、トラックバックをさせて下さいませ。よろしくお願い致します。
Posted by マーク・レスター at 2009年02月11日 15:14
マーク・レスターさん、コメントありがとうございます。

そうですね。この作品は男女の性愛そのものを描いていて、その絶頂の先に磔刑の恍惚がある、という理解です。マーク・レスターさんのレビューも読ませていただきます。

Posted by Ken-U at 2009年02月11日 23:29
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