2007年01月14日

「オルガスムの歴史」 肉体的快楽と社会の結びつきについて

ロベール・ミュッシャンブレ著
『オルガスムの歴史』 / 原題『L'orgasme et l'Occident』 (作品社)

この本は、主に16世紀以降の西洋における性の快楽に関する歴史を辿りながら、かつては禁忌の暗闇に閉じ込められ、隠蔽されていた人間の性のあり方を露わにし、個人と社会の結びつきの変遷を肉体的快楽という観点によって捉え直そうとしている。

l'orgasme_et_L'occident01.jpgオルガスムの歴史というより、むしろオルガスムの抑圧の歴史について多くが語られている。近代以前のヨーロッパでは、人間の性的欲動に畏れを抱いていた権力が、教会と結びつきながら住民の性を統制した。当時の教会は、夫婦間の性交のあり方にまで介入し、体位を規制して、妻が性交の際に絶頂に達することを禁じた。又、生殖ではなく、快楽のために行われる性愛は処罰の対象となり、とくにその過ちを犯した女性は魔女とされ焚刑に処されることもあった。これがいわゆる西洋の魔女狩りである(思えば、ホウキに跨って股の間から柄を突き出している魔女のイメージは卑猥な印象を与える)。

その後、産業革命による社会構造の変化によって都市が生まれ、中産階級に属する住民が増加すると、宗教ではなく、中産階級がよりどころとする科学によって(ただし、その科学の内部にはキリスト教的な価値観が保存されている)性の抑圧がなされるようになった。この頃から、都市部では娼婦が激増し(同時にイギリスではSMが流行する)、女性たちは貞淑な妻と穢れた娼婦という両極の存在に引き裂かれる。男性は妻と娼婦の双方と交わることが許されたが、その一方で、マスターベーションや同性間のアナル・セックスは刑罰の対象となった。又、夫婦間であってもオーラルセックスなどの「倒錯的行為」は禁じられた。これらの性的快楽に対する抑圧は、20世紀の半ばまで続く。

60年代の性の解放以降、ヨーロッパ社会は性的快楽に対して寛容になり、とくに女性は、避妊技術の発達により生殖と性愛が切り離されたことによって、数世紀にわたる禁欲の呪縛から解き放たれた、と著者は指摘する。現在のヨーロッパはある種のオルガスム革命の只中にあり、人は性愛の平等を得ることが可能となって、幸福のために愛と快楽を追求するための権利を獲得するに至ったというのだ。

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書き記されている様々な歴史的事実の積み重ねによって明らかにされるのは、極私的な経験であるはずの肉体的快楽も、属する社会と切り離して考えることは不可能であるという事実である。また、西洋社会における性の抑圧が想像以上に強く、かつ長期間に渡って西洋の人々の心を支配していたという事実には驚かされる。少なくとも、18世紀までの性の歴史を考えると、西洋より日本社会の方がはるかに性的快楽に関して寛容であったのだろうと思う。

ただし、いくつかの理由から、本書の現代の快楽をめぐる叙述に違和感を覚えるところがあった。そのひとつは、著者の社会の現状に対する認識があまりに楽観的すぎる点である。それは、彼がベビーブーマーであることと関係があるのかもしれない。その点では、著者と自分との間に多少のジェネレーション・ギャップを感じた。

そしてもうひとつは、本書でいう「西洋」が、キリスト教社会の内部に限定されているという点である。アフリカや中東などから流入してきた別の文化を持つ「西洋人」の存在を本書は無視してしまっている。著者が現代社会に対して楽観的でいられるのは、キリスト教社会の外部に対する意識が薄いせいもあるのかもしれない。

さらにもうひとつ挙げると、自分が属しているこの社会の現状と、著者がいう快楽的な社会のあり方に大きなギャップを感じてしまったという点である。現在の日本社会はむしろ抑圧的で、今後、その傾向は強まるのではないかとぼくは感じているのだけど、その社会に対する実感と、著者がいう快楽に向かう社会のあり方との間に果てしない距離を感じてしまったのだ。おそらく、日本社会はヨーロッパよりも、アメリカ社会に近い傾向を持っているのだろう。

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そのアメリカ合衆国は、いまだに厚い信仰心を維持し続けている。そしてその精神は、男性優位(マッチョ)主義的、神経症、分裂症的、ナルシスト的等々、ある種の病的な状態にあるのではないかと思われる。性に関しても病的に抑圧的だが、その一方で、その実態は自己の厳しい規範から乖離してしまっている。さらに、強烈に自由を主張する勢力も存在しているため、その相反するふたつの勢力が内部で激しく衝突し続けているのだ。また、その激しい衝突は、あらゆるレベルで、アメリカ社会のいたるところに見受けられる。この「引き裂かれたふたつのものの対立」、そして対立の中のある種の合意こそがアメリカ合衆国という共同体の秘密ではないか、という著者の指摘はとても興味深い。

『善悪のあいだの対立は、必然的に終わりがないということが、解釈の中心的な鍵なのではないだろうか。(p.342)』

永遠なるものを追い求めるアメリカ社会は、必然的に善と悪との激しい対立を必要とするのかもしれない。
posted by Ken-U at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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