戦後60年が経過して、憲法改正に向けた動きもいよいよ活発化しているようだ。このドキュメンタリー作品は、是枝氏の個人史を軸としながら制作されている。彼の父親、是枝兼蔵氏は1920年に台湾で生まれ、その後、兵士となって満州で終戦を迎えた。そしてシベリアに抑留され、3年間の強制労働に服している。是枝氏は、生前の父親から十分に当時の話を聞くことができなかったことを後悔しているようだ。この作品には、その「欠落感」に対する私的な埋め合わせというか、修復作業的なニュアンスが感じられた。父親が背負っていた重い過去、高度経済成長期と重なる自分の少年時代。彼の個人史と、戦後日本人歩みを、「忘却」という言葉をキーワードによって重ね合わせている。
*****
戦争に加担した国家には、加害国と被害国という二つの側面がある。日本人は自国が加害国であったという事実を顧みずに、この60年を過ごしてきたのではないかと是枝氏は指摘している。その象徴として、自衛隊が発足した1954年に公開された、木下恵介監督の「二十四の瞳」と、それを批判した大島渚氏の発言をとりあげている。「二十四の瞳」の中で、女教師が不幸な境遇にある生徒に向かって言うセリフがある。
「あんたが苦しんでいるのは、あんたのせいじゃないでしょう。
お父さんやお母さんのせいでもないわ。
世の中の、いろんな事から、そうなったんでしょう」
大島氏は、戦争が不可避なものであるという受動的な態度が表現されていると、この作品を批判した。そして以下のような発言をしている。
「ここにおいて木下恵介は、みにくい現実に美しい日本的風景と
被害者的心情を対置するという伝統的な日本の通俗映画作法に
回帰してしまった」
「これらの日本流反戦映画が興行的に成功したことは、
日本人全体の反戦意識がその程度のものであったことを物語る」
「日本人たちは、戦争を厭い、反戦映画に涙を流しながら、
隣国朝鮮人民の血と財産とひきかえに、経済復興を勝ちとりつつあった」
戦後の日本人は、加害国としての自国についてどう考えてきたのか。その責任をどう果たしたのか。その事実を忘却し、アメリカとの関係ばかりに目を向けてきたのではないか。戦争の被害国としての日本であり続けるために。はたして日本人は被害者だったのだろうか。
*****
その他にも、ドイツのアウシュビッツに対する補償や政府要人の大戦に関する発言、沖縄の平和の礎、広島の平和記念碑、アメリカのベトナム戦争記念碑、NYのグランド・ゼロ、石原慎太郎氏の改憲論やウィーンのユダヤ人墓地、橋本治氏の言葉、台湾の神社跡地、それらを参照しながら、戦争における加害者と被害者の姿を追っている。
「忘却」によって歴史の暗部を消去し、改憲によって「わたし」を回復しようとする日本人。私的価値観・判断力を放棄して、強い権力の中に自分を埋没させようとしている日本人。そういった日本人の姿を、是枝監督は様々な引用を組み合わせながら浮き彫りにしようとしている。
*****
是枝裕和氏は1962年生まれ。都内の自衛隊官舎で育ったという。社会は高度経済成長の只中にあった。子供の頃はウルトラマンが好きだった。実相寺昭雄監督は「怪獣とは高度経済成長によって破壊され、滅んでゆく自然の象徴であり、挽歌なのだ」と語ったという。ぼくたちが子供の頃は、そんなことに考えが及ぶわけでもなく、ただ毎週怪獣がやっつけれるのを楽しみにしていたものだ。しかし、経済が発展して暮らしが豊かになる裏側で、破壊され、消去されるものがあったということも忘れてはならない。
是枝氏は、彼と同世代の日本人が、権力や政治とは無縁の世界に閉じこもってしまっていると語っている。政治や軍隊という問題を、自分の事として考えることができない世代。その後ろ向きの個人主義は、この世代の大きな欠点だと指摘している。
66年生まれの日本人として、考えさせられることは多い。