2007年03月25日

「対称性人類学」 高次元空間と曼荼羅

中沢新一著 『対称性人類学 カイエ・ソバージュX』 (講談社選書メチェ)

シリーズ完結編。第五巻。

cahier_sauvage5_01.jpg昨春、芸術人類学研究所の創設に刺激され、この『カイエ・ソバージュ』シリーズ全5冊の再読を思い立った。それから約1年の月日をかけて、ようやくこの『対称性人類学』まで辿り着くことができた。再読とはいっても、読み進めていて新鮮に感じる言葉が多々あったり、自分自身の考えだと思っていた事柄を文章の中に見出すことなどがあって、予想以上に多くのことを(再)発見できたような気がする。この再読を通じて、人間は2度と同じ脳を使わないという脳科学者の言葉をふと思い出した。

3年ほど前からずいぶんと長い間、働きもせずに毎日ぶらぶらとしていた。そのぶらぶらした日々や、去年の春、熊野の森に初めて足を踏み入れたり、それから会社に復帰をしてみたりと、いろいろと私的な経験を積み増したこともこの(再)発見の背景になっているのだと思う。日常の暮らしの中でも、過去の自分とは感じ方が変わったというか深まったことを実感する機会が増えた。経験の蓄積とともに、自己は更新され続ける。加齢とともに変化しつつ、自分が自分自身に近づいているという不思議な感覚を味わうことができている。

*****

ところで、我々が暮らすこの世界は、人間の知覚を超える高次元空間の一部分に過ぎないのだろうか。この『カイエ・ソバージュ』全編に渡って繰り返される「流動的知性」という言葉と、その「流動的知性」が必要とする「高次元空間」について考えていると、例えば南方熊楠の「南方曼荼羅」(過去記事)やダライ・ラマが語った「空(くう)」(過去記事)のことなどが思い起こさる。それは、この「対称性人類学」が仏教の影響を強く受けているせいなのだが、このイメージにリサランドール博士の「五次元空間理論」(過去記事)を重ね合わせてみると、「高次元空間」や「曼荼羅」という概念が概念の枠を超えてこの宇宙の未知の領域と繋がってしまう。宇宙を高次元の成り立ちをしたマトリックスだと考えるランドール博士の理論が、仏教における曼荼羅の概念ととても近しいものであるように思えてしまうのだ。

本書によると、高次元空間においては、全体と部分との違いがなくなり、時間という概念でさえその意味を成さなくなるという。おそらくその超越的な領域は、極限的にエロティックな空間だと考えることができるだろう。永遠と一瞬が混在する領域の中では、あらゆるものの境界が溶け、すべてが渾然一体となる。そしてその特別な領域に呑み込まれる個体は、すべてを粉々に打ち砕かれ、強烈な苦痛とともにえもいわれぬ悦楽によってその全身を貫かれるのだ。

この世界は、本当にそのような超越的時空に覆われているのだろうか。もしそうであるのなら、一体であったものが永遠に引き裂かれ続けるのがこの宇宙の根源であるというビッグバン理論が根底から覆されてしまうだろう。そしてこの宇宙に身を置く人々は、あらゆる価値観を更新する必要に迫られる。宇宙の広がりは無限であるだけに、ぼくのこの宇宙をめぐる妄想も際限なく膨張を続けてしまうのだった。
posted by Ken-U at 22:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 芸術人類学(中沢新一) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事読みました。たしかに東洋思想の奥深さに築かされることは多いですね。西洋哲学中心でやってきたんですが。

講談社メチエ、ちょうどヘーゲル読んでるんですが、中沢さんのも気になってたんですよね、なんでシリーズなんだろうって。読んでみようかなぁ。
Posted by nanomen01 at 2009年01月15日 17:03
nanomen01さん、

このカイエ・ソバージュのシリーズはどこから読んでも楽しめると思います。お勧めですよ。
Posted by Ken-U at 2009年01月25日 00:30
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