『生命は死に触れているからこそ豊かなのである。死との触れあいを失った生命は、もはや別の意味での死を生きることになる』縄文海進期の東京湾は、温暖化の影響でいまよりずっと内陸に進出していた。そして多くの陸地が海に沈んでいたのだった。当時の東京は、複雑に入りくんだリアス式地形だったのだ。そのおかげで、この土地には多くの半島や岬ができた。そこは「水の世界」へ突き出た突端部で、しかも「水の世界」といえば、死の領域への入り口にほかならなかった。そういった場所には墓地や聖地が設けられ、その多くは現在に至るまでその名残を留めている。
本書は東京という街の縄文期と現代の繋がりを示すためのガイド・ブックとなっている。そしてある種の天皇論としても読めるように編まれている。
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以前にも書いたように、現在東京タワーが立っている場所は大きな岬であり、死霊の集う神聖な土地であったのだ。タワーの周囲に墓地が多いのはその名残りである。すぐ近くの芝には古墳群が今も残っている。その死霊の土地に、戦争から引き揚げられた戦車を資材とした巨大な電波塔が建築された。東京タワーは、生と死の領域を繋ぐ象徴としてあの場所に立っているのだ。
新宿の歌舞伎町や、渋谷の円山町などの歓楽街の成り立ちもとても興味深い。どちらも湿った土地の上につくられているのだ。歌舞伎町は沼地を埋め立ててつくった土地で、最後まで残った湿地の中心には、いまでも弁天様が祀られている。渋谷の中心部は海の底で、道玄坂には墳墓がつくられていた。道玄坂の裏手の坂下にある神泉は、かつて火葬場だったという。裏と表の双方に広がる死の領域に挟まれて、円山町は花街となり、現在も自由な性交のためのホテル街となっているのだ。
『古代の売春は、死霊や神々の支配する、神社やお寺や聖地の近くでおこなわれた。生きている人間たちのつくる共同体では、厳しいモラルの掟が支配していたけれども、死霊や神々の支配下にあっては、世俗のモラルは効力を失ってしまうので、そこでは共同体では警戒されている自由な性の交わりが、許されていたのである』
読み進めるうちに、この東京の街並みが古代との繋がりの中に成り立っていることを認識させられる。それは、現代人の無意識が今でも野生の領域と繋がりを残しているということを示してもいるのだろう。人間の脳神経は自律的に活動しており、意識の領域をどう近代化してみせたとしてもコントロールできるのはごく限られた領域にしか過ぎない、という事実が街のかたちとなって具現化し、目の前に姿を現すのだ。
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ひと昔前はちょっとしたダイビング・ブームで、多くの人たちがライセンスを取得していたのを憶えている。都心におけるダイビングはさらに身近なもので、日常的な場所の中で自分の魂を無意識の領域に触れさせることができる。この本を読んだおかげで身近な場所のあちこちを掘り起こしてみたくなった。
(関連記事:再会の場所から生まれるもの/2005/09/21)



数々の名作を書き残したスタンダールも、個人的には変人を通り越して、狂人に近い人だったそうです。中沢氏は狂人とまではいきませんが、変人は確実に通り越して、奇人とでも言うべきでしょう。こういう人には身近にいてもらっては困るけれど、これからもいい本を書いて、資本主義社会で疲れている日本の読書人諸氏に適度の刺激を与えてください。それがこの人の現世での使命でしょうから。
おっしゃるとおり、中沢さんはオウムに対して寛容な態度をとってましたね。サリン事件後のバッシングはかなりのものだったと記憶しています。中沢さんが事件後のオウム信者に宛てた文章があって、ネット上で読むこともできます。
あの事件と911事件は、中沢さんの大きな節目になっているんでしょう。ここ数年の充実ぶりは、ファンとして嬉しく思います。
まあ確かに奇人といえばそうかもしれませんね。ぼくにとってはそこが魅力なんですが。
TB、ありがとうございました。
こちらの:
http://booxbox.cocolog-nifty.com/review/2005/06/post_2fa6.html
中沢親子・親戚文もよろしければご覧ください。
ではまた! また寄らせてもらいます。
紹介していただいたエントリーにもコメントを残しました。こちらこそよろしくお願いします。