クストリッツァ作品って、とても音楽的だと思う。それは、音楽による演出が効果的になされているっていう意味じゃない。確かに音楽も素晴らしいんだけど、それ以上のなにかを感じさせる。物語そのものが、お行儀のいい理論で構築されているんではなくて、それを超えたところで鳴り響いているっていうか。その音楽的物語は、豪快さと繊細さが絶妙なバランスで混ざり合いながら創造されているから、旋律やリズムはとても大胆で刺激的なんだけど、観る者の魂にはとてもやさしく響いてくる。スクリーンに映し出される人々や動物たちが、とても野性的で生き生きと描かれている。熊は人間を噛み殺し、鷲は鶏を食らう。猫は人間の食い物を奪い、犬と互角に闘ってみせる。国家は戦争に突入し、兵士達は命を奪い合う。そんな叫び声や爆音が鳴り響く剥き出しの世界の中で、男と女は歌い踊り、恋に落ちては交わりあうのだ。
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92年のボスニア。セルビアとの国境に近い山村で、鉄道技師として働いているルカ。彼はとても善良な男で、心から鉄道と彼の家族を愛している。妻のヤドランカは元オペラ歌手。ひとり息子のミロシュは読書好きのサッカー選手だ。
ミロシュはルカとの会話の中で、アインシュタインの言葉を引用しながら光の速さについて嬉々として語ってみせる。相対性理論は彼にとって知性の象徴となっている。しかしそれをルカが諭す。本を読み過ぎるのは頭に悪いと。大切なのは知性ではなくて、感じることだとルカは言う。
印象的なのは、ミロシュが兵役に就くために家を去る時のやりとり。ミロシュは走り去ろうとするバスに追いついて、やっぱり速さは大切だと言う。その後ろをルカが息を切らせながら追いかけてくる。ルカは、ミロシュが走りながら落としてしまった財布を彼に渡しながら、もう一度言う。速さだけではなく、感覚も大事なんだと。そしてふたりは、これで最後になるかもしれない抱擁を交わす。
この野性的な世界の中で、大切なのは知性ではなく、感じることなのかもしれない。言葉にすると陳腐なようだけど、やはりそうなんじゃないだろうか。この物語には、単純にそう思わせるだけの力があった。感じること。この物語の中では、愛することが感覚的行為の象徴のように扱われている。ルカの愛は辻褄が合ってはいない。それでも愛さずにはいられないから、彼は生き延びるのだろう。
印象的なのは、ラスト近くの捕虜交換のシーン。ルカは愛してしまった捕虜のサバーハを、ミロシュと引き換えにセビリアへ引き渡そうとする。寒がるサバーハに、ルカはコートを渡そうとするけれど、セビリア側に渡ったサバーハにはもう近づくことはできない。それでもルカは、警備をかいくぐり、去りゆくサバーハに追いつこうと走りだす。すると目の前にミロシュが現れる。こちらに歩いてくるミロシュを前に、ルカは足を止め、サバーハのためのコートをかけて抱きしめる。
ミロシュを抱きしめながら、サバーハを乗せて走り出す車をただ目で追うだけのルカ。彼のその姿はとても印象的だった。
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スクリーンを眺めながら、なにか複雑な思いを抱いてしまった。ぼくが暮らす平和な世界からは消し去られようとしているものが、あの死と隣り合わせの世界には確かに存在しているような気がしたからだ。ミラクルとは、混沌とした世界の中にしか生まれないものなんだろうか。いや、世界は奇跡に満ちているのかもしれない。相反する想いは入り混じり、そして判然としないまま、ぼくは奇跡のロバを見つめていたのだった。



橋のところのコートの行方、私も書きたかったんですが、はみだしてしまいました。ってゆうかうまく書けませんでした。
いい映画は何度でも見れて何度でも語れて、でも人生の時間には限りがあって罪作りです。
「すげえいい」なんてコメントもらえてとても嬉しいです。
いい映画は何度観てもいいもんなんですが、新しいいい映画も公開されるし、読みたい本も沢山あるし、困ったもんです。
困ったもんですけど、喜ばしいことでもあるんですよね。
本当にすばらしい映画でした。
奇跡を起こすほどにパワフルな生命のエネルギーにあふれていましたよね。
クストリッツァ作品のワイルドさ、躍動感が大好きですー。
ご丁寧に、こちらにまでコメントありがとうございます。
まさに生命のエネルギーに溢れた、素晴らしい作品でした。この作品を観ずして今年の映画は語れないんじゃないかと、個人的には思っています。