2005年09月12日

創造と職人の技芸との繋がり

気をとり直して、録画していた「成瀬巳喜男 記憶の現場」を鑑賞。成瀬作品の関係者たちの証言を通して、成瀬巳喜男とその作品の魅力に迫るドキュメンタリー。

naruse02.jpg1905年、成瀬巳喜男は東京の四谷坂町に生まれた。父親は没落した武家の末裔で、刺繍職人だったらしい。そういえば、坂町から南に下ると東京三大貧民窟のひとつだった鮫河橋がある。その先は赤坂御用地。坂町の西隣りは荒木町。なにやら悪党的な匂いのする地域だ(過去記事)。

成瀬の家庭は貧しく、15歳の時には自活を余儀なくされ、1920年、松竹キネマ蒲田撮影所に就職をする。
24歳で監督デビューを果たした成瀬は、その後トーキー映画を撮るためにPCL映画製作所へ移籍する。そこから彼の才能は開花した。

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日常の中の些細な出来事が淡々と描かれていながら、そのディテールのひとつひとつに深い奥行きが感じられる。今回の特集を追いながら感じる成瀬作品の魅力のひとつに、そういった「深み」がある。優れた映画は皆そういった要素を持っているものだとは思うけど、成瀬作品の場合はなんというか、派手さのない職人的な奥行きというか、緻密で柔らかな技のようなものが強く感じられる。このドキュメンタリーを通してよく解ったのは、その「深み」は脚本だけではなく、職人的技術者たちにも支えられていたということだ。

その象徴的な例として、成瀬作品で多用されたセットによる撮影がある。野外のオープン・セットを含め、成瀬監督はロケではなく、セットでの撮影を好んだようだ。

撮影につかわれたセットを支えた技術者として、美術監督の中古智(ちゅうこ・さとる)と照明技師の石井長四郎が紹介された。特に中古は「窓の外の中古」という別称を持っていて、セットで作られた窓の外にある風景まで、精密なミニチュアによって再現できる技術者だった。
屋内のセットでは、壁が必ず四面とも作りこまれた。オープンセットでも、遠景に見えているビルをセット内に縮尺して再現した。それらの映像の一部が例として紹介されていた。
セット作りのの技術には驚かされる。古いモノクローム・フィルムということもあるんだろうけど、実際の作品を観ても、どこからどこまでがセットなのかを判別するのは不可能だ。

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俳優に対するインタビューでは司葉子の話が突出して面白かった。高峰秀子は別格として、司葉子レベルの俳優にはあまり演技力が要求されなかったと告白していた。謙遜はあると思うけど、シーンの流れを壊さないように動けば良かったと、笑いながら話していた。
その一方で、成瀬監督にとっては編集が全てだったという意見も述べていて、なるほどそうかと納得させられた。その他にも彼女の話には感心させられることが多かった。

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異様に静かなセットの中での撮影を好み、編集に重きを置く。撮影スケジュールと予算は必ず守る。成瀬巳喜男監督にまつわる、いかにも映画職人といったエピソードにはとても惹かれるものがあった。

成瀬作品に限らず、映画製作には俳優も含めた多くの技術者が関わっている。以前NONFIXでやってた映写技師のことも思い出した(link)。古い日本映画を観ていると、そのレベルの高さを再認識させられる。この国の撮影所は、職人達の技芸に支えられながら、世界に誇れる水準に達していたんだな。

作家の脳内で湧き出たイメージが、職人達の技芸に支えられながら目に見える映像となり、スクリーンに映し出され、観る者が感動する。ぼくはその繋がりにとても魅力を感じる。


posted by Ken-U at 23:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画(成瀬巳喜男) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ、Ken-Uさん
とても「観たい番組」ではあったけれど、何かと録画がぶつかって涙を飲んだだけに、概要をしることができて嬉しかったです。ありがとうございました
Posted by noho_hon at 2005年09月14日 09:25
noho_honさん、

かなりかたよった概要なので、そこのところはご了承ください。
記事には書いてないのですが、現場の雰囲気は黒澤組と正反対だったことや、編集ではカットの繋ぎに重きが置かれていたため、小津作品より映像に「流れ」があるという話が出ていました。
Posted by Ken-U at 2005年09月14日 11:31
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