キャスティングにつられて、また観てしまった。高峰秀子に司葉子、それに杉村春子という組み合わせに惹かれてしまった。父親役には笠智衆、それに成瀬作品の常連たちが脇を固めている。

終わらない戦争、売り上げのあがらない荒物屋、店と家庭を切り盛りする後家、自由恋愛、堕胎、失業、そして学歴による収入や社会的地位の格差といったテーマが扱われている。
他の作品と少し違って感じた点は、犠牲になる「息子」の存在が重く描かれているところだ。
石川家の後妻であるあきが、先夫との間に生み、そのまま先夫のもとに残していた息子、六角谷甲。彼は偶然、石川家の人々の前に現れる。この男は、見栄えのする容姿と豊富な知識によって、不遇な人生を生き延びてきた。彼の言動にはある歪みが感じられるが、その歪みはカネと女性へと向けられている。彼の抱えた心の歪みを辿っていくと、母親に捨てられた息子が抱える心の傷へと行き着くんだろう。母親に捨てられた男は、父親にも死なれ、カネに苦労しながら生きてきたのだ。彼は復讐している。女を傷つけることが彼の復讐なんだろう。しかしその一方で、彼は強く母の面影を求めている。母性に飢えている。
もうひとりの息子。石川家の長男の嫁、芳子のひとり息子である健。彼の父親は既に亡くなっている。彼は石川家の跡継であり、家族の中でただひとり芳子と血の繋がりのある存在でもある。彼は母親の期待を一身に背負い、高校受験の勉強に励んでいる。
彼にとって、母親の期待は重圧になっていて、伸びない成績に悩まされている。そしてある日、彼は知る。貧しい家庭で育った同級生が、成績優秀であるにもかかわらず、進学を諦め、自分の親戚が経営するラーメン屋でアルバイトをしているのだ。その事実に直面し、健はさらに苦悩する。
健をめぐる物語は、この作品の中でも突出して暗く、重い。作品のバランスが少し崩れてしまうくらいの描かれ方で、少し違和感を感じてしまう。ただ、それだけに心に突き刺さるものがあるのも事実で、とても複雑な想いを抱かされる。
健が線路沿いを歩いている時に、背後から列車が通り過ぎていく。そのショットがとても印象的だった。
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豪華キャストの群像劇としては、先日鑑賞した「流れる」よりも良くできているような気がした。物語がより緻密に編まれている。脚本を担当している松山善三の仕事によるものなんだろうか。彼が脚本を担当した「乱れる」同様、この作品もラストに向かって物語が急展開していく。それにしても、この「女の座」はちょっと急過ぎるのかもしれない。ただしそれを差し引いたとしても、この作品は予想以上のものだった。