
グリューネヴァルト 『十字架のキリスト』

人間の供犠 メキシコ (スペイン占領初期)

ハンス・バルドゥング・グリーン 『開かれた墓の前で死神が裸女に接吻する』

二クラウス・マヌエル・ドイッチュ 『傭兵姿の死神が若い女に接吻する』

ベルニーニ 『聖テレジアの恍惚』
『私は天使が長い黄金の槍を手に持っているのを見た。その槍の先端には火の切先が光っているように見えた。私には、天使がその槍を何度も私の心臓に突き刺し、私の内臓にまで突き通しているように見えた。そして天使は、槍を引き抜くと、私の内臓もいっしょに引き出して、私の全身を神の大きな愛の火で包んでいるように見えた。その苦痛はあまりに激しかったので、私は呻き声をあげてしまったが、しかしこの過度の痛みは甘美であって、私はこの痛みから解かれたいとは思わなかった。』(p382〜「自伝」第二九章第一三節より引用)
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ヴードゥーの祭儀の画像は、適当なものをみつけることができなかった。頭から雄鶏の血を浴びている男の姿などはとても野蛮にみえるのだけれど、あれは、人間が自身の内に潜む野蛮と向き合うために必要だと見做されていたのだろう。そう考えると理にかなっている。ただ、ここでいう「理」は通常の理の意味を大きく逸脱している。